〜伊達政宗とその周囲を巡る年表〜

※まだまだ不完全なものです。記述に間違いなど発見された方はご指摘くださると嬉しい・・・
※但し書きがない限り、日月等は旧暦。
※政宗の子ども達の事柄については、男子は緑色女子は桃色にて分けました。

西暦 和暦 年齢 伊達 藤次郎 政宗 片倉 小十郎 景綱 伊達 藤五朗 成実 天下の動き等
1567 永禄10年 1歳 8月3日 米沢城で生まれる。幼名梵天丸 ・1557年(弘治3年) 米沢八幡宮の神職・片倉景重の次男として生まれる。 ・1558年(永禄11年) 伊達実元の嫡男として生まれる。 ・1568年 織田信長、足利義昭とともに入京
1571 元亀2年 5歳 ・疱瘡(天然痘)に罹り右目を失明。
1572 3年 6歳 ・禅師・虎哉宗乙に師事。 ・初め伊達輝宗の徒小姓として仕えた(?歳)
1575 天正3年 9歳 ・片倉小十郎景綱が傅役となる。 ・政宗の傅役となる。(19歳) ・政宗の徒小姓となる(8歳) ・長篠の戦い
1577 5年 11歳 ・11月15日 元服して藤次郎政宗を名乗る。
・12月5日 祖父晴宗杉目城にて没。
1579 7年 13歳 ・冬 三春城主・田村清顕の娘・愛姫と婚礼。
1581 9年 15歳 ・5月上旬 相馬氏への侵攻で初陣。 ・政宗の初陣に従う(25歳) ・政宗の初陣に従う(14歳)
1582 10年 16歳 ・3月下旬 父輝宗とともに蘆名、二階堂、田村氏間の和睦斡旋のため杉目城へ。
・4月下旬 父と相馬氏討伐のため角田城へ。その後転戦。
・織田信長、本能寺の変にて没。享年49歳
1583 11年 17歳 ・2月6日 父とともに金山、丸森城を攻略。
1584 12年 18歳 ・春 伊具郡小斎に出陣。
・5月下旬 相馬氏と和議。
・7月上旬 米沢へ帰る。
・輝宗が隠居し、家督を継いで17代当主となる。
・嫡子・重綱、出羽で誕生。(28歳) ・小牧・長久手の戦い
1585 13年 19歳 ・3月20日 従五位下美作守に叙任。
・4月 小浜城主大内定綱謀叛。
・原田宗時に蘆名氏の攻略を任すが、失敗。
・5月3日 耶麻郡桧原に出陣。
・8月12日 大内討伐開始。
・9月26日 小浜城入城。
・10月8日 父輝宗、畠山義継に殺される。。
・10月15日 二本松城を攻略。
・11月17日 人取り橋の戦い

・11月21日 小浜城へ引き上げ。
・人取り橋の戦いに参戦。(29歳) ・父実元(58歳)隠居し、八丁目城へ。家督を相続し、大森城主となる。
・人取り橋の戦いにおいて軍功を上げる。(18歳)
1586 14年 20歳 ・3月 左京大夫に叙任。
・4月上旬 二本松城を攻略するが失敗。
・7月16日 畠山国王丸二本松城に火を放ち、会津に逃走。

・8月上旬 米沢へ帰還。
・12月中旬 相馬氏の調停により蘆名、佐竹氏他と和議が進行。
・覚範寺建立。
・二本松城を攻略に参戦。
・信夫郡大森城主となる。(30歳)
・人取り橋の軍功の恩賞として二本松城と3万8千石の所領を与えられる。(19歳)
1588 16年 22歳  郡山合戦
・大崎氏を攻めるが敗れる。
・相馬氏と合戦。
・佐竹、芦名氏と合戦。
・大崎、最上氏と休戦。

・9月20日 秀吉、秀次に進物を送る。
・10月17日 秀吉より使者あり。
・11月26日 弟・竺丸元服。小次郎と名乗る。
郡山合戦に参戦。(32歳) ・郡山合戦に参戦。(21歳)
1589 17年 23歳  摺上原の戦い
・芦名氏を敗り、会津黒川城へ入城。
・白川、二階堂(須賀川)、石川、岩城氏を敗る。

・12月上旬 秀吉配下の諸将たちから上洛拝謁を促す書状が多数届く。
・摺上原の戦いに参戦。(33歳) ・摺上原の戦いにおいても多大な軍功を上げる(22歳)
・父・実元死去(享年61歳)
1590 18年 24歳 ・小田原参陣の命が下る。
・4月7日 弟・小次郎に切腹を命じる。

・母・保春院山形へ。
・5月9日 小田原へ向け黒川城を出発。
・10月中旬 葛西大崎一揆勃発。
・10月26日 一揆討伐のため米沢を発つ。
・政宗の小田原参陣に従う。(34歳) 北条氏との姻戚関係と東北の経略を理由に小田原参陣を反対。秀吉との主戦論を唱える。
・黒川城留守居役となる。(23歳)
・国分盛重とともに蒲生氏郷の人質となる。
1591 19年 25歳 ・1月27日 上洛し、謀略の嫌疑を晴らす。
・5月20日 米沢へ帰還。
・5月27日 再び葛西大崎へ出陣。
・7月4日 葛西大崎一揆を平定。
・9月23日 岩出山に移封

・12月 長男・秀宗誕生。母・飯坂氏(新造の方・猫御前?)
・亘理城主となる(35歳)
・豊臣秀次、徳川家康の下向により、出迎え。
・1月1日 氏郷の元より解放。
角田城主となる(24歳)
1590 文禄元年 26歳 ・1月5日 兵三千を率いて上洛。
・征韓の部署決め。
・3月17日 名護屋へ向かう。
1593 文禄2年 27歳 ・4月13日 文禄の役(朝鮮出兵)で釜山へ上陸。
・7月下旬 原田宗時対馬にて没。
・9月11日 帰朝命令によって釜山を発立、18日名護屋着。
・閨9月中旬 京都着。(*1)
・閏9月25日 伏見に屋敷を賜る。
・文禄の役に参陣。政宗に従い、釜山へ上陸。(38歳) ・文禄の役に参陣。政宗に従い、釜山に上陸。(26歳) 文禄の役(朝鮮出兵)
1594 3年 28歳 ・長男・秀宗(兵五郎)、京都着。
・6月16日 長女・五郎八姫誕生。母・愛姫
1595 4年 29歳 ・夏 奥州へ一時帰国。
・7月下旬 秀次事件のため上洛。
・8月24日 嫌疑が晴れる。
・この年から翌年にかけて領地検地。
・7月15日 豊臣秀次自刃。
・慶長の役(二度目の朝鮮出兵)
1596 慶長元年 30歳 ・2月10日 秀吉に謁見。
・閏8月14日 浅野長政と絶交。
・冬 従四位下右近衛少将に叙任。越前守も兼任。
1598 慶長3年
32歳 ・成実出奔に伴い、角田城を召し上げ、石川昭光に与える。 ・伏見より出奔。角田城を召し上げられる(31歳) ・8月18日 豊臣秀吉没・享年63歳
1599 4年 33歳 ・長女・五郎八姫と徳川家康の六男・忠輝が婚約。
・10月27日 白石宗実伏見にて没。
・12月8日 次男・忠宗(虎菊丸)誕生。母・愛姫
1600 5年
34歳 ・5月3日 上杉討伐の命が下る。
・7月12日 大阪を出立。
・7月21日 白石城攻略の為岩沼へ。25日白石城投降し、開城。
・8月22日 家康より百万石の御墨付きが届く。
・9月末 関ヶ原東軍勝利の報が届く。
・和賀一揆の後押しを画策。
・千代に築城許可を求め、縄張り。千代から仙台に改名。
・三男・宗清(権八郎)誕生。母・飯坂氏
・庶子・宗根誕生。母・香の前?
・上杉討伐参陣。
・10月 桑折占拠に赴く。
・留守政景、小十郎の説得により帰参(33歳)
・上杉討伐参陣。
・関ヶ原の合戦。
1601 6年 35歳 ・仙台城を築城開始。以後の本拠地となる。
・5月24日 和賀忠親、自刃。
・9月10日 江戸へ出立。
・10月上旬 伏見にて家康に謁見。江戸に邸宅を賜る。
1602 7年 36歳 ・1月 大阪城の豊臣秀頼に謁見。
・5月 仙台城完成。
・9月26日 諸侯、江戸に人質を置く。秀宗を差し出す。
・伏見にて四男・宗泰(愛松丸)誕生。母・塙氏
・白石城1万3000石の城主となる(46歳)家格・一家。(※1)
1603 8年 37歳 ・8月 鎌倉に遊び、仙台へ帰国。
・11月 四男宗泰を岩出山へ置く。
・五男・宗綱(卯松丸)誕生。母・愛姫
・六男・宗信(吉松丸)誕生。母・柴田氏
・亘理郡23邑611貫356文を与えられ、亘理要害に居住。一門第二席(※2)に復帰(36歳) ・徳川幕府開府
1604 9年 38歳 ・10月10日 江戸へ出立。
・11月5日 松島五大堂の再建開始。
1605 10年 39歳 ・2月16日 徳川秀忠上洛の先駆けとして江戸を発つ。
・4月16日 参内。
・7月 養育係だった喜多が白石にて没(享年72歳)
・7月下旬 仙台に帰国。
・12月20日 綱元に命じ、領地を検地。
1606 11年 40歳 ・12月24日 長女・五郎八姫と徳川家康の六男・忠輝の婚礼。 ・政宗嫡女・五郎八姫と徳川家康六男・忠輝の婚礼の使者となる(39歳)
1607 12年 41歳 ・2月8日 家康を江戸藩邸に招く。
・2月14日 領内を再び検地。
・春 忠宗(虎菊丸)、徳川市姫と婚約。
・七男・宗高(長松丸)誕生。母・愛姫
1608 13年 42歳 ・1月 松平姓を許され、陸奥守に任ぜられる。
・9月 家中知行割りの調査。

・次女・牟宇姫誕生。母・柴田氏
1609 14年 43歳 ・3月26日 松島瑞巌寺の方丈落慶。
・八男・竹松丸誕生。
1610 15年 44歳 ・10月16日 江戸藩邸に秀忠を招く。
1611 16年 45歳 ・1月26日 江戸城西の丸普請を命ぜられる。
・徳川市姫夭折。池田輝政の娘・振姫を将軍家養女とし、改めて忠宗と婚約。
・5月8日 虎哉宗乙没。
・5月14日 仙台へ帰国。
・10月15日 ビスカイノが謁見。
・12月13日 忠宗元服。従五位下美作守に叙任。
1612 17年 46歳 ・4月23日 側室・飯坂氏(新造の方)江戸にて没。
・12月 病を得る。
・12月21日 江戸着。
・キリスト教の禁止
1613 18年 47歳 ・3月28日 秀忠を江戸藩邸に招く。
・4月10日
 駿府の家康に謁見。
・6月下旬 五郎八姫越後に下る。
9月15日 支倉常長をスペイン・ローマに派遣する。
・九男・宗実(喝食丸)誕生。母・芝多氏
1614 19年 48歳 ・3月16日 江戸を出立。
・4月1日 高田へ。
・7月5日 高田城完成。
・10月7日 大阪討伐の陣触れ。
 先鋒を命じられる。留守居は鈴木重信。
・11月17日 大阪着。
・12月28日 秀宗、宇和島十万石に封じられる。
・大阪冬・夏の陣には病床のため不参加(58歳)
代わりに嫡子・重綱(31歳)が参陣。道明寺の戦いで後藤又兵衛らを討ち取り、軍功を上げる。
・大阪冬の陣に参陣(47歳) ・大阪冬の陣
1615 20年
元和元年
49歳 ・2月28日 秀宗、京から宇和島に向け出立。
・3月18日 竹松丸江戸にて没(享年7歳)

・4月9日 大阪夏の陣のため江戸を出立。
・5月6日 道明寺の戦い
・5月8日 大阪城落城。
・6月19日 正四位下、参議に叙任。
・9月3日 仙台へ帰国。

・9月12日 江戸上下屋敷焼失。
・元和元年10月14日 病の為、白石にて死去。享年59歳 ・大阪夏の陣に参陣(48歳)
・豊臣氏滅びる。
・一国一例城令発布
・武家諸法度発布
・9月12日 支倉常長ローマ法王に謁見。
1616 2年 50歳 ・2月10日 駿府の家康に病気見舞いのため出立。22日駿府着。
・5月11日 仙台に帰国。
・7月6日 松平忠輝改易。伊勢に配流。
・9月 江戸藩邸焼失。
・11月1日 江戸着。

・三女・岑姫誕生。母・多田氏
・4月17日 徳川家康没。享年75歳
1617 3年 51歳 ・2月28日 仙台に帰国。
・5月16日 上洛準備の為仙台を出立。途中日光へ参詣し、燈篭を献ずる
・7月18日 伏見城へ登城。
・9月末 江戸着。
・12月13日 忠宗、振姫と結婚。
1618 4年 52歳 ・3月22日 藩邸に秀忠を招く。
・4月4日 仙台へ帰国。
・4月18日 領内北方を視察。
・5月28日 五男宗綱(卯松丸)没(享年16歳)
・10月9日 大崎地方にて狩猟。
1619 5年 53歳 ・1月16日 遠島へ狩猟。
・3月25日 江戸着。
・3月26日 上洛のため出立。5月16日入京。
・9月1日 伏見城にて秀忠に謁見。
・10月12日 江戸着。
・江戸城二の丸普請を政宗の名代として奉行。(52歳)
1620 6年 54歳 ・4月2日 仙台大火。
・4月24日 仙台帰国。
・5月25日 江戸城二の丸の普請を命じられる。
8月28日 支倉常長帰国。
・9月21日 五郎八姫下向。仙台城西館に居住。
10月 秀宗の家臣成敗に怒り、勘当。三年間の不通。
1621 7年 55歳 ・1月13日 白石で狩猟。
・1月25日 江戸上下藩邸焼失。
・4月13日 松島に遊ぶ。
・8月28日 江戸着。
・十男・宗勝(千勝丸)誕生。母・多田氏
1622 8年 56歳 ・母・保春院の実家である最上家断絶。仙台に迎える。
・10月24日 仙台帰国。
・12月 秀宗、侍従兼遠江守叙任。勘当を許す。
・最上家断絶に伴う幕府命令による城郭接収等を担う。(55歳)
1623 9年 57歳 ・3月15日 忠宗を伴い、秀忠に謁見。
・6月10日 朝廷より勅使にて皇朝類苑を拝領。(*2)
・6月25日 秀忠に従い参内。
・7月16日 母・保春院没。(享年76歳)

・閏8月24日 大阪へ。
・9月20日 江戸着。
・12月21日 家光を藩邸に招く。
・7月27日 徳川家光三代将軍となる。
1624 寛永元年 58歳 ・2月20日 家光を藩邸に招く。
・4月22日 仙台帰国。
・6月23日 忠宗越前守叙任。
1625 2年 59歳 ・4月21日 江戸にて秀忠、家光に謁見。
・7月13日 日光参詣。
・8月10日 江戸城西の丸にて秀忠より饗応を受ける。
・9月1日 常陸知行の視察。鹿島神社参詣。
1626 3年 60歳 ・7月12日 秀忠に従い、宮中へ参代。
・8月17日 七男宗高(長松丸)没(享二十歳)

・8月19日 従三位権中納言に叙任。

 忠宗は従四位下右近衛権少将、秀宗は従四位下侍従に叙任。
・10月末 江戸着。
・11月20日 仙台帰国。
・四女・千菊姫誕生。母・村上氏
1627 4年 61歳 ・2月23日 幕府より若林館(隠居所とするつもりだった?)築館の許しが下りる。
・8月9日 六男宗信(吉松丸)没(享年26歳)

・11月14日 三女岑姫、伊達左衛門宗実(涌谷巴主)に嫁ぐ。
1628 5年 62歳 ・3月12日 秀忠を藩邸に招待。
・3月26日 家光を藩邸に招待。
・11月12日 仙台帰国。
・11月16日 若林館落成。
・寛永年間に「成実記」「政宗記」を著す。

・1639年(寛永16年) 政宗九男・宗実が養子となり、のちに家督相続

・1646年(正保3年)6月4日没。享年79歳。

・1632年 徳川秀忠没。享年54歳
1629 6年 63歳 ・11月末 若林館より参勤のため出立。
1630 7年 64歳 ・4月6日 家光を藩邸に招待。
・4月11日 秀忠を藩邸に招待。
・11月末 若林館へ帰館。
1631 8年 65歳 ・7月26日 秀忠病患の報が届く。
・閏10月20日 江戸へ出立。
・10月27日 秀忠を見舞う。
1632 9年 66歳 ・4月28日 日光参詣。
1633 10年 67歳 ・4月3日 仙台帰国。
1634 11年 68歳 ・1月19日 遠島に狩猟。
・2月27日 江戸着。
・4月26日 家光上洛の先駆けを命ぜられる。
・6月19日 入京。
・7月18日 家光に従い参代。
・7月22日 三男宗清没(享年35歳)
・8月2日 近江に五千石加増。
・8月4日 家光より六十二万石の書状を賜る。
・1633年 鎖国令
1635 12年 69歳 ・3月7日 烏丸光広より詠草の添削が届く。
・4月6日 四女千菊姫、京極高国へ嫁ぐ。
・7月9日 若林館に帰館。
・7月12日 江戸上下藩邸が焼失。
・8月15日 松島に遊ぶ。
※1635年 武家諸法度改正。参勤交代制成立。
1636 13年 70歳 ・1月8日 江戸城城郭の普請を関東奥州諸侯に命ぜられる。
・1月19日 遠島にて狩猟。
・4月13日 大崎にて狩猟。
・4月18日 保春院に参詣。その後北山、経ヶ峰、茂ヶ崎へ。
・4月20日 病を押して江戸に出立。白石城に宿泊。
・4月25日 日光参詣。
・4月28日 江戸着。
・5月2日 幕府医官に診療を受ける。
・5月13日 家光の命で酒井忠勝が見舞う。江戸中の医者に治療を検討させる。
・5月18日 病状悪化。家光、江戸中の寺社に祈祷させる。
・5月21日 家光来邸し、見舞う。
・5月24日 巳の刻、江戸藩邸にて没。享年70歳。夜のうちに霊柩が仙台に出立。
・6月4日 経ヶ峰に葬る。
・葬儀に先立ち、 殉死者15名、陪臣5名あり。
・6月23日 葬儀。

・1637年 島原の乱
1637 14年 ・10月24日 瑞鳳殿落成。
・1653年(承応2年)1月24日 陽徳院(正室・愛姫)没。享年86歳

*1・・・“閏月”は太陰暦による暦のズレを調整する為に入れられた月。
*2・・・朝廷によって作られた書籍等のことを指す。詳細は探索中・・・

※1・・・伊達家に仕える家臣の家格。
※2・・・伊達家に仕える親戚筋の家臣の家格。








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