「のう、小十郎を嫁に迎えられないというのは本当か?」
前方から聞こえてきた言葉に、小十郎の思考と動きが止まった。
うららかな陽気の中、梵天丸の一行──時宗丸、小十郎、喜多、槍の師・岡野助左衛門春時──は虎哉和尚の待つ資福寺へと向かっていた。
六歳になる頃に始められた虎哉宗乙による教育は、彼を招く為に建てられた寺で行われていた。本来馬なり輿なりを仕立てて行くところを、ほぼ毎朝館から寺までを徒歩で行く。これも虎哉の教えの一環で、梵天丸と時宗丸の足腰を鍛えることに繋がった。
道中はまた、様々な話をする機会でもあった。和尚に出された問いのこと、道端の虫や草花のこと、子どもならではの疑問質問・・・今朝もそんな中で発せられた梵天丸の言葉だった。
「あたりまえではないか、若!小十郎は若の傅役です。それに男じゃ!嫁はおなごと決まっている!」
梵天丸より一つ年下の時宗丸が得意げに言う。梵天丸は後ろに控えている喜多を見た。
「喜多はどう思うか?」
すでにくすくすと忍び笑いをしていた喜多は、笑みを漏らしながら頷いて見せた。子どもならではの微笑ましい言動、と受け取っているらしかった。
「左様でござりまするなぁ・・時宗丸さまの仰せのとおりかと」
「ふうん・・・」
一応納得したような梵天丸の唇は、それでも不満げに尖っていた。
そんなやり取りを呆気に取られたまま見ていた小十郎も、話の収束にふうと深い溜息を吐いた。
「・・のう、傅役どの。そなた一体、若に何をしたのだ?」
と、後ろに居た助左衛門が笑いながら小声で聞いてくる。
「助左どの、何をしたなどと心外な・・・某にもさっぱり訳が判りませぬ」
「まあ、わしの娘も“ちちうえのよめごになる!”などと可愛いことを言うからのう。若君とて利発であらしゃっても、所詮は十にもならぬ童子よ。気にしなさるな。ハハハッ!」
子煩悩の助左衛門がさも愉快そうに笑うので、いささか割り切れない思いの小十郎もつられるように笑った。
寺では勉学だけでなく、畑仕事や掃除、遊びまで広く為された。
それは傅役の小十郎も同じであった。小十郎が寺の境内を掃いていると、時宗丸と遊んでいたはずの梵天丸がやって来た。
「小十郎」
「どうなさいました、若君」
「わしはそちとは夫婦になれぬそうな」
「はぁ・・・・・・まあ、左様でござりましょうな」
またもや発せられた梵天丸の言葉に、正直な所またこの話を蒸し返すのか、と小十郎は眩暈がする思いだった。
「側室でもだめじゃと、和尚も言うのじゃ」
「側・・っ!?・・・・・・その、和尚にもお聞きになりましたので?」
「うむ。和尚ほどのお方の“げん”であれば、たしかであろうと思うての」
持っていた箒を支えに小十郎は天を仰いだ。
和尚はなかなかの洒落好きだ。このあと顔を合わせた時の、意地悪い猫のようなニヤニヤ笑いが目に浮かぶようだった。
この梵天丸の様子からすると、自分を嫁に出来るか出来ないか、他の者にも聞きまわっていることが窺い知れた。
それにしても──と、小十郎は困惑しながらも考えた。
隻眼の梵天丸への風当たりは、ただでさえ強い。不具であり、少し前まで内気で嫡子としてふさわしくないと見られていたのだ。いまだ十にも満たないというのに、次期当主には次男・竺丸をと言う者もいる。
それが傅役の男を嫁に所望しているなどと知られたら、例え子どもの言うこととはいえ梵天丸は“うつけ”と称され、付け入る隙を与えかねない。
こんな話が広まったら不味い───そう思った小十郎は不安になった。
今朝すでに話を振られた喜多は口も堅く、聡いから他言の心配はないだろう。しかし子どもの戯言と重く考えていない助左衛門や、何も知らない子どもの時宗丸あたりが館中に触れ回るかもしれない・・・いやそれ以前に、すでに館のめぼしい連中には聞き回ったあとかもしれない・・・そう思うと、小十郎は眉間の皺を深くした。
しかし───
(一体全体どういうわけで、こんなにもわしを嫁にと所望するのか・・・?)
小十郎はふと、そんなことが気になった。
梵天丸は子どものわりに案外粘り強いところがある。この問題にも随分拘っているようだから、自分が納得するまで聞いて回るかもしれない。
そう思った小十郎は、とにかく原因から断たねば、と思った。
「ときに梵天丸さま。ちとお聞きしてもよろしいですか?」
「うむ、許す」
許可を得た小十郎は梵天丸の正面にしゃがみ込んだ。
「何ゆえこの小十郎を嫁にと、ご所望でいらっしゃるのですか?」
小十郎は大事なことを話すときにはいつも目の高さを合わせるようにしていた。だからこの質問も梵天丸の目を見て、はっきりと聞いた。梵天丸にとっても重大であるようだったが、お家にとっても、小十郎にとってもある意味一大事なのだ。
すると梵天丸は首を傾げて、さも不思議そうに答えた。
「嫁であれば、一緒にいられるのであろうが?」
「一緒に?」
「そうじゃ・・小十郎を嫁に迎え、夫婦になればずっと一緒にいられるのではないのか?」
梵天丸の答えに、先ほどとは違う眩暈が小十郎を襲った。
この幼い主君は自分と一緒にいたいと言っているのだ。
しかもずっと。
おそらく、死ぬまで共にあるように。
それを実現するための、より確実にする方法を探していて行き着いたのが“婚姻”という形だったというわけか。
「・・・梵天丸さま。嫁などにせずとも、小十郎は梵天丸さまのお傍に居ります」
「本当か?」
「はい」
「ずっとじゃぞ?梵天がおおきゅうなっても、そのあともずうっとだぞ?」
その子どもらしい聞き方に小十郎は微笑みながら、しかし真摯に答えた。
「はい。ずっと・・・この命が果てます時まで」
「いのち、果てるまで・・・そうか、夫婦にならずとも一緒にいられるのか」
「はい」
小十郎の返事に梵天丸は嬉しそうに笑った。
「若!見つけたぞ!」
突然、植木の中から顔を出した時宗丸が叫んだ。
「おう、時宗丸!今度はわしが鬼じゃ!」
そう叫ぶと二人は弾かれたように駆け出した。
(・・・ここまで望まれて、これ以上のことなど他にあろうか)
そんな湧き上がる思いに小十郎の目に映る二人の後ろ姿がうっすらと滲んだ。
小十郎は二人の姿が物陰に消えるまで見送ると、また元のように掃除を続けた。
聡いお子ちゃままーくんもたまには子どもらしく、素っ頓狂な事を言うといい。
こじゅも感激の微笑ましいお話ながら、実は本気も本気だったまーくんは、大きくなるとこじゅをぺろりと戴きましたとさ(笑
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