もう床に着こうかと思っていたところに、寝所の障子越しに声が掛かった。

 「殿・・・・・・」

 「・・・誰か?」

 張りのあるその声には覚えがあったが思い出せず、政宗は誰何した。

 「・・喜多にございます」

 「・・喜多じゃと!?」

 驚いた政宗が障子を乱暴に開けると、喜多が足元に座していた。

 「・・夜分遅くに申し訳ございませぬ。少しよろしゅうございましょうか?」

 「おう、もちろんよいが・・そなた具合が悪いと聞いたぞ?養生はどうした?いつ仙臺へ参ったのだ?」

 「まあ、そのように一辺に申されましても。喜多の口はひとつ、殿のお耳も一組でございますれば・・」

 政宗の質問攻めを、喜多は笑いながらそんなふうに揶揄した。

 「む・・それもそうだな」

 政宗はとにかく喜多を室内に招き入れ、茶でも持って来させようとしたが、喜多は遠慮した。

 「他の者の手を煩わせることはございません。もしよろしければ、そこなお白湯を一杯頂けましょうか・・?」

 「ああ。これで良ければ、たんと飲むといい」

 政宗自らが枕元の白湯を茶碗に注いで差し出すと、喜多はそれを美味そうに飲み干した。

 「・・ああ、美味しい」

 「・・そうか、それはよかった」

 嬉しそうに微笑む喜多に吊られるように、政宗も笑みを零した。
 そうして喜多はつらつらと語り出した。

 「随分むかしのことながら・・喜多の出過ぎた行いから殿のご機嫌を損ねたことが、ずっと気に掛かっておりました・・・」

 「あの、ことか・・・」

 もう十数年前のこと。
 政宗は故太閤に膝を屈し、上洛して伏見に屋敷を与えられた。人質として正室である愛姫を住まわせ、側室たちも国許を出てそこへ移った。
 その頃の政宗は故太閤の気まぐれに振り回され、抜かりない政に忙しくしていた。

 そんなときに事は起こった。
 政宗の留守中、太閤が愛姫を伏見城へ召すよう使者を寄越した。
 遠い地にいる政宗に指示を仰ぐ暇などもちろんない。かといって云う通りに正室である愛姫を登城させ、何かあったとなっては政宗に、ひいては伊達家にとって最大の恥辱となる。
 そんな切迫した状態のなか、喜多は側室のひとりを愛姫と偽って差し出すことを決めた。もちろん偽りが露見すれば、ただでは済まない。しかし留守の政宗は預かり知らぬ間のこと。もしものときには、喜多はすべてを背負い自刃する覚悟を決めての謀だった。
 結果から云えば、この件に関して太閤からの咎めは一切なかった。差し出した女子が愛姫でないことは早々に判ったようではあったが、その身代わりの側室を気に入ったらしかった。それにいくら太閤といえども一大名の正妻を好き勝手にしようものならば、その後安寧な政などできはしない。そんなこともあってかこの謀を責められることはなく、伊達伏見屋敷の面々はほっと胸を撫で下ろした。
 しかしそんな懸命な判断を下した喜多を、政宗は許さなかった。
 側室とはいえ、仮にも“伊達政宗の妻”のひとりを、一介の侍女の勝手な判断で差し出したのだ。伏見に帰ってその話を聞いた政宗は激怒した。愛姫の必死の嘆願にも耳を貸さず、喜多は国許での蟄居を命じられ、ひとり京を去った。




 「・・・あれから太閤さまもお亡くなりになり、天下は徳川さまに定まりつつございます。時代は随分と様変わりいたしましたが、それでもずっと、あのことは気に掛かっておりました・・・それでこの度、殿が京から江戸を経てご帰国と聞きまいて、きちんとお詫びを申し上げようとこうして参上いたしました。あの折は誠に出過ぎた真似をいたしまして、申し訳ございませんでした・・」

 深々と頭を垂れる喜多に、政宗は手を差し伸べるとその顔を上げさせた。

 「もうよい、喜多。ああでもせねばただでは済まなかったであろうことは、よく判っている。だが、あのときのわしは若く、抑えが利かなんだ・・・許せ」

 「勿体無いお言葉でございます・・ああ、これで長年の胸のつかえが取れました」

 喜多はそう云うとにっこりと笑った。それは政宗が幼い頃よく見せた、明るく清々しい笑顔だった。

 それからしばらくお互いの消息についてなど語り合った。そうして一息ついた頃、喜多は暇を申し出た。

 「なんじゃ、もう少しよいではないか。そうじゃ!部屋を用意させるゆえ、泊まっていくといい。昔のように寝物語でも聞かせてくれ」

 冗談めかした政宗の引止めに、喜多は笑いながらも首を振った。

 「そうして差し上げたいのは山々でございますが、まだ小十郎のところへも顔を出さねばなりませぬ」

 「なんじゃ、まだ小十郎に会うていないのか!しかしもう遅いぞ。いくら小十郎の屋敷が城を出てすぐとはいえ、夜道は危ない。やはり今宵は城に泊まっていき、明日朝一番に顔を出せばよかろう?もし気になるのであれば使いを出しておこうぞ」

 政宗の申し出に『有難い仰せながら・・』と、やはり喜多はうんとは云わなかった。

 「小十郎には今夜中に会うて、云っておかねばならぬこともありますれば、これにて・・・」

 「そうか。それほどまで云うのであれば仕方ない・・ずっと文ばかりで済まなんだ。直接会うて話しがしたかったのだが、忙しくなかなか落ち着かぬ身じゃ。それを今宵こうして来てくれて嬉しかったぞ、喜多」

 「わたくしめもこうして殿にお会いできて、本当に嬉しゅうございました。もう心残りもございませぬ。では失礼仕りまする」

 喜多は元来たように静かに部屋から出て行った。






 翌朝、朝食の相伴のために登城してきた小十郎の表情は心持ち硬かった。
 常より冷静沈着で滅多に感情を外に出さない男だけに、その僅かな違いに気づく者は少ない。三十年近くそばに居る政宗さえ、気づくことは少ない。しかし今朝の小十郎は口数も少なく、気がつけばどこかうわの空という有様。そのうえいつもは十歳違う政宗にも劣らない食欲を見せるというのに、箸の進みも悪い。さすがに政宗も気づくというものだ。

 「小十郎、今朝は食も進まぬようだが・・如何した?」

 政宗がそう水を向ければ、小十郎は少し逡巡してから『お食事が済んでからと思うておりましたが・・』と前置きをして話し出した。

 「実は今朝、姉の喜多が亡くなったとの知らせが白石より届きまいた」

 「なんと!?喜多が死んだじゃと!?そんな馬鹿な!」

 「いえ、本当にございまする。殿もご存知とは存じますが、少し前から病を得て臥せっておりましたので覚悟はしていたのですが・・・」

 政宗は持っていた箸を投げつけるように膳に置くと、訥々と語る小十郎に向かって叫んだ。

 「小十郎、馬鹿を申すな!喜多は死んでなどおらん。昨夜とてわしを訪ねて来て話をしたのだぞ!」

 「はっ!?姉が、殿の元へ・・・?」

 「おう!久々のことゆえ昔話もしたし・・そうじゃ、泊まってゆけばいいと引き止めたが、どうしても今夜中にそちのところへ行かねばと云っての。そなたも会うたであろう?」

 政宗の話に小十郎は目を見張り、ややして『ああ・・』とすべて得心した様子で呟いた。

 「そうですか・・本当に殿の元へも会いに行ったのですね」

 「・・・どういうことじゃ?やはり喜多はそちのところへも行ったのだろう?いや、しかし喜多は白石で死んで・・・一体どういうことだ・・?」

 政宗は訳がわからぬと呟いた。
 そんな政宗の様子に小十郎は言葉を選ぶように話し出した。

 「その、実は昨夜・・某のところへも姉が参りました」

 「そうか!やはり行ったか!」

 「はい・・しかし病に臥せって白石にいるはずの姉が、夜も更けて、しかも何処から入ったものか取次ぎもなく直接某の部屋に参りまして。初めはどうしたことかと訝しみましたが、なにせ本人が目の前におりますゆえ・・まあ元気になったのなら良いか、とそう思うて部屋に招き入れました。いま考えますとどうして納得したのか・・それが不思議でなりません・・・」

 小十郎の話によると、そうして訪ねてきた喜多を部屋に上げ、やはり色々な話に耽ったらしい。その大半は政宗のことであったという。
 そうして半刻ほどすると暇を乞うた。帰り際、喜多は『我らを引き立てて下さった亡き輝宗さまや殿のご恩情を努々忘れてはならぬ。これからも伊達家第一の気持ちでお仕えするように』とよくよく云い含めたという。
 そしていつの間に眠ったものやら白石より急ぎの書状が届いたと近侍に起され、目を通せば喜多の死の知らせがあった。

 「・・・きっと最後に会いに来てくれたのでしょう」

 小十郎はそう呟き、静かに笑んだ。

 「ああ・・そうやも知れぬ」

 政宗も静かに答えた。そして喜多の葬儀と埋葬を懇ろに行うようにと付け足した。





 その夜、寝所に入った政宗は枕元に置いてある白湯の入った漆器と茶碗に目を留めた。そして昨夜白湯を飲んだ喜多の使った茶碗が、朝も確かにあったことを思い出した。
 既に綺麗に洗われた茶碗を眺めながら、ふと、昨夜の喜多の姿が甦った。

 ぴんと伸びた背筋で座る姿は、凛とした桔梗の花を思わせた。
 そして美しい黒髪に、小十郎と同じ切れ長の聡明さを湛えた眼。

 それはまだ自分が梵天丸と呼ばれていた、若かりし頃の喜多の姿だった。

 喜多と異父弟である小十郎とは、二十以上歳が離れていたはずだ。小十郎は今年四十九歳だったから・・・

 政宗はそこまで考えてやめた。
 記憶の奥底にある一番馴染んだ、そして望んだその姿で会いに来てくれたのだと、そう思うことにした。
 可愛がっていた弟の小十郎の元へ行っても、自分のことばかり話していたという喜多。
 奥州一の大名となり、徳川にも一目置かれるようになった今でも、自分は幼い頃と変わらず、何時までも心配の種なのだろう。
 
 (・・・喜多にしてみたら、わしはまだ“梵天丸”に見えるのであろうなぁ)

 そう思って、一人苦笑した。





 <終>



今回は政宗+幽霊喜多で(笑)
喜多は最後まで政宗のことを気に掛けて、案じていたんじゃないかと。
魂は一夜にして千里を走るといいます。(きっと白石〜仙臺間なら30分くらいで到着。それじゃ電車と同じだ(笑)>台無し)

夏なので怪談話でも・・・と。でも思っていたのと違う仕上がりになってしまった・・・orz
次回リベンジ!