小十郎が政宗の傅役の命を受けたのは政宗九つ、小十郎が十九の年だ。
すでに政宗の父である輝宗の徒小姓として仕えていた小十郎が、政宗──梵天丸と顔を合わせるのは初めてではなかった。
嫡子である梵天丸を溺愛していた輝宗は、暇さえできれば奥を訪れては梵天丸の相手をしていた。それに付き従う小十郎に、しかし引っ込み思案な梵天丸は決して近寄ろうとはしなかった。
直接言葉を交わすわけでもなく、ましてや傍に寄っても来ない梵天丸だったが、父が訪れたときは傍から見ても本当に嬉しそうに見えた。しかしそうはいっても広い領地を持ち、近隣との争いが絶えない領主は多忙であったから、幼い政宗にとっては充分とは言えない親子のふれあいであったろう。
そんな多忙な父と、生まれてすぐに引き離され、疱瘡を患ってから尚のこと疎遠になった実母・お東の方の愛を補うように、乳母としてすでに傍近くあった喜多は心を砕いていた。
喜多は小十郎の異父姉にあたったが、その仲は良かった。
母の連れ子として片倉家にやってきた喜多は、自分の立場を卑下することもなく、かといってでしゃばることもないとても賢い娘であった。
そんな聡明な姉ではあったが、梵天丸の教育に難儀している様子は傍目から見てもよく判った。伊達家の嫡子としての養育、同じ奥に住まうお東の方との対立、梵天丸自身の引っ込み思案な性格・・・そんな諸々の問題をひとりで背負うには、しっかりしているとはいえいまだ年若い喜多には大層な重荷だった。
そこにそろそろ梵天丸に正式な傅役をつけようという話になった。
傅役は大任である。元服するまでの大事な時期をともに過ごし、嫡子としてふさわしい教養と武術を身に付けさせ、多くの領民を治めるための器を育てる。
そこに白羽の矢が立ったのが、輝宗の小姓であった小十郎だった。
小十郎は低い身分の家柄だったが、輝宗がその笛の腕と文武両道の才気を買って傍近くに召したほどだ。家老である遠藤基信の推挙もあり、とんとん拍子でこの話は決まった。
そうして対面した小十郎と梵天丸であった。が、予想していた通り内気な梵天丸はなかなか小十郎に馴染もうとはしなかった。
初対面のその日、喜多に手を引かれて部屋にやって来た梵天丸に小十郎はさっそく挨拶を述べた。
「今日より若さまの傅役となりました片倉小十郎景綱にございまする」
そう挨拶された梵天丸は喜多の脇に張り付き、伺うように小十郎を見るばかり。
「若さま・・この者は喜多の弟でございますれば、何もご心配には及びませぬ」
そうした喜多の取り成しもあまり効果はなかった。
小十郎が傅役となってひと月が過ぎた頃。
傍近くで接してみれば、梵天丸は思うほど内気ではなかった。
すでに梵天丸のために招かれた資福寺の虎哉禅師に付き、その独特のへそ曲りの教えを受けていた。梵天丸付きの小姓として選ばれた、幼いながらも豪放な時宗丸(のちの成実)という同年代の友も得て、明るさも備わってきた。
そして何よりも、小十郎は梵天丸の才気の豊かさに驚かされた。
梵天丸は日々、砂が水を吸うように知識も、武術も、のちに生涯に渡って発揮されるへそ曲り術もその身に取り込んでいった。
しかしそんな梵天丸も十も歳が離れ、付いて日の浅い小十郎にはどこか遠慮がちで、よそよそしさが抜けなかった。
そんなある日。
お東の方の元から戻ってきた梵天丸は、何時になく塞ぎこんでいた。
お東のところには嫡子の自分とは違い、手元で育てられている弟・竺丸がいた。会いに行けば否応もなく、弟を溺愛する母の姿を見なければならない。数少ない母との対面は、梵天丸にとって喜びとともにそうしたやるせなさも与えていた。
今日も帰ってきてからずっと庭の池の縁に座り込む梵天丸の後ろ姿を、小十郎もやるせない思いで見つめていた。そうしてもう半刻を過ぎる頃、さすがに身体が冷えるだろうと小十郎は梵天丸の傍に歩み寄った。
梵天丸はいつもしている眼帯を外して、水面に映る自身を見つめていた。その顕になった右目は痛々しく爛れている。
池に映る自分の姿の後ろに覗いた小十郎に気づいた梵天丸は振り返り、まじまじと見つめてきた。小十郎もそんな政宗を見つめ返した。
「・・・小十郎もこの梵天を“醜い”と思うか?」
梵天丸の問いに小十郎は胸をつかれた。
利発で、時折大人たちの度肝を抜くほどの発言をする子が見せる頼りない姿。
自分が愛されぬことを弟のせいにもせず、また当事者の母のせいにするのでもなく、ただ自分の姿のせいだと思う哀れさ。
何より自身のことを“醜い”という言葉で表わしたことが、悲しかった。
「・・若さまはご自分が醜いとお思いですか?」
小十郎は梵天丸の質問には答えず、反対に問い返した。
「・・・みな、醜いと思うておる。母上も・・・」
「小十郎は梵天丸さまがどうお思いか、聞いております。他の者のことなどよろしい」
小十郎の強い口調に梵天丸は目を丸くした。
「・・確かにその右目は痛々しゅうございます。しかし他の者が何を言おうが、何を思おうが、どうでもよいことです。梵天丸さまにはきちんと見開かれた左目がおありです。その開いた目ですべてをご覧になればよろしい。そして見とうないものは右目でご覧になられよ」
勢いに任せたような小十郎の物言いに梵天丸は目をぱちくりさせた。そして何よりも、そんなことを言った小十郎自身が驚いていた。
「・・・ははははははっ!まるで禅師のようなことをいう!」
今度は小十郎が目を丸くする番だった。こんなふうに自分に向かって快活に笑う梵天丸を見たのは、初めてだった。
「・・あの虎哉禅師に?わたくしめが?」
「そうじゃ!見えぬ右目で見ろなど、へそ曲りの言うこと。ははは!そっくりじゃ!」
「・・・わたくしめも禅師の教えを乞うておりますれば、似ても参りましょうな」
そう生真面目に答える小十郎に梵天丸はますます笑った。
「そうか、では小十郎もへそ曲りだな・・・さむうなったの」
梵天丸はそういうと立ち上がり、手を差し出してきた。
それは初めて梵天丸から差し出された手だった。
小十郎がその小さな手を握ると、強く握り返される。
「・・小十郎のいうとおり、わしはこの左目ですべてを見よう。だが、やはり一つ目では足りぬことがあるやもしれぬ。じゃから、おまえがわしの右目になれ。そしてわしに見えぬものを見て、教えてくれ」
「・・・仰せのままに」
そのぎゅっと握る小さな主君の手の温もりを、小十郎は一生忘れないだろうと思った。
ちびまーくんと青年こじゅの馴れ初めv
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