「此度の上洛、殿のお供は出来かねるかと存じ奉りまする」
「・・・ハッ!小十郎、何を言っている?」
小十郎の重々しい言葉を政宗は鼻で笑った。
いつものように小十郎と成実が出仕してきた知らせを受け、政宗は奥から表に出た。そしていつもの通りに膝をつき合わせると、上洛する旨を伝えた。
『左様でござりますか。ではすぐに仕度に掛かりませぬと』
そんな答えが返ってくることに疑いなど持たなかった。
しかし返ってきたのはまるで反対の言葉。
上洛の供は出来ないと言う小十郎は、尚も畳み掛けるように続けた。
「片倉小十郎景綱、此の度隠居のお願いを申し上げたく・・・」
「ならぬ・・・っ!」
頭を下げたまま告げる小十郎を、政宗は即座に遮った。
「何を言っておるのだ?!そなたはわしの片腕、この独眼竜の右目であろうが!その片腕がなく、右目も見えず、どうして上洛など出来ようか!?隠居など、ならん!ならんぞ・・・っ!」
歳を経て、近頃はなりを潜めていた政宗の癇癪にも、しかし小十郎は動じなかった。
「・・・誠にもって有難い仰せにはござりまするが、小十郎は殿よりも十も年長。その上これまでの戦三昧にて少々身体を使い過ぎ申した。今朝も成実どのの肩をお借りするほどにござりますれば・・・」
小十郎はそういって情けないような笑みを見せる。
その口元には深い皺が浮き出ていた。それを認めて政宗はぎりりと歯噛みした。
政宗とて小十郎の老いには気づいていた。もう何十年も供に過ごしているのだ。亡き父や、もう随分会っていない母。そして妻である愛姫よりも長く、近く。
けれど、だからこそ、小十郎が政宗の傍を離れることなど考えられない。考えたくもないことだった。
疱瘡で右目も母の愛も失った子どもの元にやって来た青年が、どれほどの優しさや勇気や愛を与え、その子を満たしたか。
わずか十八歳で家督を継ぎ、翌年には自分を誰よりも慈しんだ父を亡くし、歳若い領主の肩に圧し掛かる重責はどれほどのものだったか。それらをいち早く察し、支えたのは小十郎だ。
政宗がそんな小十郎を欲し、抱いたのは十九の頃だった。
その心はもとより身体まで差し出すほどの深い、“愛情”としか表現できないもので政宗をずっと守っていた。
しかしそんな小十郎も四十を過ぎる頃になると、政宗の求めをやんわりと拒むことが多くなった。
『某ももう若くはございません。だだでさえ無骨で、そのうえ弛み始めた身体を晒すなど恥辱以外のなにものでもございませぬゆえ・・・』
帯に掛けた手を押さえ、言い訳する小十郎に政宗は憤った。
確かに四十を越えてはいたがその姿は実年齢よりも若く見え、戦がなくても鍛錬を続ける小十郎の身体は弛んでなどいなかった。
まだまだ若く短気な政宗は、それを身体に判らせようと酷く責め立てたこともあった。
しかしそれでも。
固い意思を持つ小十郎は政宗が自身に触れることを少しずつ止めさせていき、身体を重ねることもなくなって久しい。
「まぁまぁ殿、落ち着きなされ」
二人の噛み合わぬやり取りに、小十郎の隣に控えていた成実が取り成した。
「・・・殿のお気持ちはよう判る。小十郎ほどの忠臣は他に変わりなど居らぬし、長年同輩として過ごしてきたわしとて淋しい。しかし・・小十郎も先年病んでから随分無理をしておりまする。足の古傷も辛いようでの、登城も難儀な有様・・・」
そう言って気遣わしげに隣の小十郎を見遣る成実の表情に、先刻言っていた肩を借りたうんぬんという話が嘘ではないことが判る。
いや、そんなふうに言われなくても知っていた。
少し前から引き摺るようになっていた小十郎の右足に、政宗とて気づいていた。
「此度の上洛も長くなりましょう。下手をしたら戦にもなろう。それは小十郎にはちと厳しいて・・・のう、殿。どうか聞き届けてやっては頂けぬか・・・」
「どうかお願い申し上げます・・・」
成実の助言に小十郎も重ねて願い出る。
頭を下げる小十郎の鬢にはもうだいぶ白いものが多い。
頬も扱け、顔色も冴えない。
政宗にも本当はよく判っている。
このまま無理をさせて上洛させようものなら、ますます具合も悪くなるだろう。
もしかしたらその寿命をも縮めることになりかねない・・・
「僭越ながら・・・」
黙ってしまった政宗に小十郎は再び頭を上げ、口を開いた。
「某の代わりに倅のご同行をお許し願いとうございます」
「倅・・・左門がことか?」
「おお、そうじゃ!実はもうそこに控えておる。おい、重綱!是へ参れ!」
成実は待ってましたとばかりに大声を張り上げた。
と、廊下に姿を現したのは紛れもなく小十郎の嫡子・重綱であった。
「重綱!もそっと近くへ。遠慮のう参れ!」
「はっ・・・!」
政宗の意などそっちのけで、成実は嬉々として重綱を招き入れた。
「拝謁の栄を賜りまして、恐悦至極にござりまする。片倉景綱が息子、重綱にござります」
しっかりとした挨拶を述べる重綱はなかなかの美丈夫だ。そのうえ文武両道の聞こえも高く、その評判は政宗の耳にも入っていた。
「この重綱はの、父親の小十郎同様、いやそれ以上に文武に優れておるとの評判じゃ。そのうえにこの男っぷり!どうじゃ?不足は有りまいて!」
「成実どの、それはいささか誉め過ぎにござる。まだまだ若輩者にて・・・どうかよくよくご指導をお願いしたい・・・」
「おお、我が息子と思うて接しようほどに・・・どうじゃ、殿!重綱を連れて参ろうの!」
成実と小十郎の間であれよあれよと話が進み、政宗の口を挟む隙は皆無だった。
なんともいえない状況に政宗は思案を巡らす。
この芝居がかった様子とすでに重綱を控えさせていたことから、どうやら二人の間では随分前からこの筋書きが練られていたのであろうことが伺われた。そう気づくとこの長い付き合いの二人にはまったく参る、と心中で苦笑した。
しかしやられっ放しでは“天下のへそ曲り”の名が泣く。
「よう、わかった」
「おお、お判りいただけたか!」
喜ぶ二人に政宗はニヤリと意地悪い笑みをみせた。
「おう、では京へは小十郎を連れて参る!」
「いや!だから、小十郎は・・・」
政宗の答えにうまく事が運んだと思っていた成実は慌てた。
「まあよく聞け、成実。今日より重綱を“小十郎重綱”とする!」
「なんと!」
「で、では殿・・!」
目を丸くする成実と小十郎に政宗は仕方がないように笑って告げた。
「京へは小十郎“重綱”を連れて参るのだ。小十・・・景綱の隠居も許す・・・それで良かろう?」
政宗の言葉を聞くと小十郎は安堵の笑みを零した。
「有難き幸せ・・・」
そう言ってまた深々と頭を下げる小十郎に、政宗の目の奥がツンと痛んだ。
成実と重綱を先に帰すと、部屋には小十郎と政宗の二人きりになった。
「小十郎の我が侭をお聞き届け下さり、誠に有難うございました・・」
酒よりも茶を所望した小十郎は、喉を湿らすとまた礼を繰り返した。
政宗は膝を使ってにじり寄ると、小十郎の膝の上に置かれた手を取った。
幼い頃は大きく温かかったその手は、今は硬く冷え小さく感じるほどだ。政宗は小十郎の冷えた手を擦りながら話す。
「礼など、もうよい。そちには本当に世話になった・・・・・・ああ、そんな言葉では足りぬな。まったく足りぬし、違う。違うのだ・・」
「殿・・・」
小十郎の声に顔を上げた政宗は、今にも泣き出しそうに顔を歪めていた。
その歪みながらも微笑んだ顔が近づいたかと思うと、小十郎の唇に懐かしい感触が触れた。
「殿・・っ!」
咄嗟に後ろに仰け反る小十郎に政宗は苦笑する。
「これ以上のことはせぬ・・・だが、これだけは許せ・・」
小十郎は政宗の頼みには昔から弱かった。そのうえそんな切ない顔をされては拒めるはずもなかった。
小十郎は溜息を吐きながら身体の強張りを解いた。
「・・このような爺に、何がよろしいのやら」
仕方がないように呟く小十郎に政宗も軽く笑った。
許しを得たのをいいことに、政宗の指は小十郎の顔や髪をまるで確かめるように撫でる。
「確かに・・白いものも、皺も増えたな。おまけに何時からか髭まで生やしおって・・・だが、お前は“小十郎”だ。歳を取ろうが、息子に名を譲ろうが、お前はわしの“小十郎”なのだ・・・」
だから、最後に。
おそらく、これが最後だから。
数日後。
政宗は上洛のため仙台を発った。白石まで小十郎景綱も従い、二人はそこで別れた。
次に二人が会うのは約一年後、大阪の陣の後のこと。
それは皆に囲まれながらの、最後の対面となった。
オヤジまーくんはジイこじゅも愛おしめばいい。
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