豊潤
昼過ぎから続いていた宴で散々に飲み飽いた家臣たちも、一人また一人と潰れていった。そうした者たちの後始末も、決まって小十郎の仕事となった。
地酒作りに熱心な政宗が“笊”ならば、さしずめ小十郎は“枠”と言えるほど酒に強かった。そうした理由と役目柄とが重なって、小十郎はいつも損な役回りを演じていた。
まず、何とか意識のある者は従者を呼んで家に帰した。それからどうにもならない者は小者たちに云い付けて寝床を用意させ、何とか後始末を済ませた小十郎は最後に政宗の元へ顔を出した。
政宗は自室の前の縁側の柱に背を預け、胡座を掻いてぼんやりと天空を仰いでいた。視線の先を追えば、月も無く星々がよく見える。薄くもやのように見える天の川は、天空を北から南へと貫くように流れていた。
「・・・おお、小十郎。大儀であったな」
政宗は小十郎に気づくと声を掛けてきた。
「は。・・まだお飲みでしたか」
小十郎は政宗が手にしていた杯に気づいて少し呆れたように言った。宴でもかなり飲んでいたはずだが、まだちびりちびりとやっていたらしい。
「おう、そちも飲み直せ」
差し出された杯に小十郎はしばし逡巡したが、長い戦から無事帰参した今日くらいは構わないだろうと主の前に座した。
小十郎が両手で恭しく杯を受け取ると、政宗は丸くぽってりとした陶製の酒器を傾けた。そこに白く濁った地酒が並々と注がれて、小十郎はまるで頭上の天の川のようだと思った。そして軽く頭上に捧げ、礼を尽くすと一気に煽った。
「どうだ、旨かろう?」
「はい、誠に・・・酒はやはりこの地の物が一番口に合いまするな」
そうだろう、そうだろうと頷く政宗に返杯しながら、小十郎はやっとひと心地ついた気がした。
昼間の暑さが嘘のような過ごし易い宵闇の中、遠くではもう気の早い虫が樂を奏でているのが聞こえる。あと半月もすれば、風も冷たさを増し虫たちも合唱を始めるだろう。それからすぐの稲刈りが済めば、雪深いこの土地には欠かせない冬支度───そんなものの差配をしていれば、あっという間に年も暮れてゆくはずだ。
小十郎が毎年繰り返される、しかし欠かせない役目を反芻していると、ぷんと甘い香りが漂ってきた。見ると何処から出してきたのか、政宗が瓜に包丁を入れていた。
「どうじゃ、小十郎。良い香りであろう?」
形良く半月に切られた瓜を目の前に突き出され、小十郎は反射的に受け取っていた。
「これもあの畑で・・・?」
「おお。これは冷やした方が旨いからな、先ほどまで井戸に吊るしておったのだ。さぁ、遠慮するな、食え」
政宗は得意そうに勧めると自身その切り身に齧り付いた。それを見ていた小十郎も切り分けられたせいでより強く、甘く香るそれに言われるままに口をつけた。咥内に広がる瑞々しい香りは今が盛りの夏を思わせ、噛み締めると滴る汁気は喉を潤した。
「・・よく冷えているな」
「はい、よく冷えていると甘さも引き立ちまするな・・・・・・皆にも振る舞われればよろしかったのでは?」
暑い夏の、しかも酔った体を潤すにはもって来いの物だと思い、小十郎は素直に口にした。だが、政宗は「ああ・・」と言い淀み、少し間を空けて答えた。
「これは・・・そう数がないのだ」
「ああ、そうなのですか。それは残念にござりますなぁ」
小十郎は政宗の返事に素直に頷いては、大きな口でしゃくしゃくと咀嚼した。その様子を見た政宗は小さく溜息をつきながら言った。
「それにじゃ、これは・・・そちの好物であろうが」
「は・・・?」
小十郎が驚いて政宗を見れば、何となく憮然とした面持ちで在らぬ方へ視線を向けて瓜を食んでいた。
「・・・殿。それではこの瓜は、某のために取っておいてくださったので?」
「・・・まあ、な」
視線は相変わらず在らぬ方へ向けたまま返事する政宗に小十郎は小さく笑った。
「それは大変かたじけのうございます・・・それにしても、よく某の好物を覚えておいででしたな」
「まあ、な」
先ほどと同じ答えを呟きながら、政宗は小十郎の前に新しい瓜をもう一切れ差し出した。小十郎が素直にそれを受け取ると、政宗はぼそぼそと話し出した。
「・・おぬしは昔からたいした欲がなかった。未だに褒美を取らそうと欲しいものを聞いても笑って答えぬことが多いではないか」
「それは、恩賞は充分に頂いてますゆえ・・・」
「それは欲しいものとはまた違うであろう・・・それで欲のないそちは時折、何でもないようなものを好きだと申すのだ・・この瓜はわしが幼い時分に、そちが“好きだ”と申したのだぞ。忘れたか?」
政宗の話を聞いて小十郎は随分昔のことを思い出した。
まだ虎哉和尚の元へ通っていた頃のこと。仏さまの供え物の瓜をお八つに、と井戸で冷やし和尚や成実たちと共に食べたことがあった。そのとき勢いよく瓜に齧り付く小十郎に政宗は聞いてきたのだ。
『小十郎はそんなにうりが好きか?』
『はい、政宗さま。瓜は小十郎の好物でございますれば』
そう笑顔で答えた小十郎に、政宗はじっと自分の瓜を見つめたかと思うと、その小さな掌に載せた一切れを差し出してきた。
『では、これもそちにつかわす。えんりょはいらぬ、食え』
(本人はとっくに忘れていたようなことを、今は“独眼竜”と怖れられるこのお方は覚えてらしたのか・・・)
小十郎は柔らかく微笑んだ。
「大変嬉しゅうございます・・・政宗さま」
昔のように呼ばれた名に政宗はふっと目を細めると小十郎の手首を握り、自身の唇を寄せた。小十郎はその生温かい感触に舌が這い上がっていることを知り、思わず身を引くが掴まれる腕にそれ以上は許されない。
「殿・・っ」
「このようなときくらい名で呼べ。昔のように・・・」
瓜の汁でべたつく指を舐られながら囁かれる声はすでに欲を孕んでいる。小十郎はその声に体の芯が痺れるようだった。
指の根元までしゃぶられ、音を立てて離れた。それで終わるわけもない悪戯は今度は指の股に舌を這わされ、薄い皮膚から伝わる感覚に小十郎は思わず息を詰める。
「小十郎・・」
その呟きにやっと掌を解放されたかと思うと、今度は唇を塞がれた。ぴちゃぴちゃと頭の中に響く卑猥な水音にその思考も徐々に霞んだ。
「んん・・・っ!」
体を繋げるようになって随分経つが、受け入れることに慣れた体もやはり最初の挿入のときの違和感だけは拭えない。清浄潔斎を求められる戦場に出ていてしばらくご無沙汰だったこともあり、今宵は尚更きつい。少しは楽だろうと後ろから受け入れたが、気休め程度にしかならなかった。
「く・・・っ」
時々唸るように声を漏らす政宗にとってもきついらしい。小十郎は息を深く吐き、主のために力を抜こうと努めた。
それでもしばらくすると体も思い出したのか徐々に力も抜け、政宗の動きも早くなる。小十郎も痛みより快感が強くなり始めると考えることも億劫になり、廊下と部屋の中途半端な位置で始めたことも忘れ、その理性を一時手放した。
久々の交わりのせいか、何度も何度も求めて止まない主に小十郎も限界まで付き合った。
声を出すことを嫌う小十郎に、達する瞬間その声を自身の中に閉じ込めるように政宗は唇を合わせる。ひくひくと跳ねる体を抱き締め、何もかも絡め取るように深く口付けると政宗は名残惜しそうに離れた。
「・・・甘いな」
政宗は口端に残る唾を拭いながらぼそりと呟いた。
「は・・・?」
小十郎はなかなか収まらない荒い息を一度大きく吐き出しながら問い掛ける。
「おぬしは・・何処も彼処も、甘い」
無意識に近い問い掛けに、笑ってそう呟く政宗のほうこそ甘い、と惚けた頭で小十郎は思った。
<終>
お前等二人とも甘い・・・