政宗が風邪を引いたと聞いて、小十郎の脳裏には“鬼の霍乱”という言葉が真っ先に浮かんだ。








 

〜甘眠〜











 
 「殿、横にならねば治るものも治りませぬぞ」

 「嫌じゃ」

 御付きの小姓から政宗の風邪の知らせを聞き、小十郎はさっそく政宗の寝所を訪れた。
 しかし小十郎が部屋に入ると当の政宗は敷いた布団に横になることはせず、柱に寄り掛かっているのを見つけた。そして先ほどのやり取りである。

 「風邪如き、この格好で充分じゃ。それに我が師との約定もある」

 師との約定とは、戦国に生きる者として女子と褥を共にするとき以外は横になって寝てはならない、という教えのことだ。政宗はその教えを律儀に守り、戦場ではもちろんのこと一人寝の際も決して横にならず過ごしていた。
 しかしいま柱に寄り掛かる政宗といえばふうふうと息は荒く、顔も赤みが強い。その様子から熱が高いことが伺える。枕元に置かれた茶碗を見れば、薬湯は飲んだらしくカラッポだった。肩にも厚めの上着を引っ掛けているから、本当にこのままで過ごすつもりらしい。
 こうなるとこのへそ曲がりを納得させるのは難しい。
 皆が黒といえば、自身は白といい、こうせよと言われれば、決して従わない。長い付き合いの小十郎にはその辺のこともよく判っていた。
 
 「・・殿、お部屋には他の者はお入れしませぬゆえ、横になられよ」

 無駄とは思いつつもう一度だけ横になることを勧めたが、やはり返って来たのは『否』という返事だった。
 予想はしていたが、小十郎は大きな溜息を吐かずにはいられなかった。





 政宗の今日の公務は無理と踏んだ小十郎は、自身で片付けられる用件を済まそうと辞去しようとした。

 『・・・こんな状態のわしを一人にしておくつもりか?他の者を入れぬのなら、そちがここに居れ』

 
 しかし今度はこんなことを言う。
 結局、小十郎は寝所に書状類を持ち込み作業するハメになったのだ。

 部屋の端の文机に向かい書き物をしながら、時折ちらりと政宗を伺う。柱に寄り掛かり腕を組んだままの政宗は静かに目を瞑り、相変わらず赤い顔をしている。

 
 「・・・小十郎」

 小十郎を呼んだ政宗の声は力なく掠れ気味だった。

 「何か・・?」

 「ちと・・こちらへ参れ」

 筆を置き言われるまま近寄れば、政宗の額や喉元にはうっすらと汗が浮かんでいるのが見えた。小十郎は懐紙を取り出し汗を拭った。

 「小十郎・・寒い」

 汗を掻きながらもそう呟く政宗は、肩に掛けただけの上着を掻き抱くように掴んでいる。

 「ああ、では火鉢をお持ちしましょう。それからやはり横に・・・」

 立ち上がろうとする小十郎を政宗は押し止めた。

 「待て・・火鉢は要らぬし、横にもならぬ。お前がいい・・」

 そう掠れた声で言いながら寄り掛かる政宗の身体は驚くほど熱かった。
 小十郎はずしりと重い身体を受け止めると、布団の上掛けも引き寄せて政宗を包むように腕に治めた。

 「・・少しは温まりまするか?」

 「うむ、好い・・お前はいつも温かいな」

 小十郎の胸元に収まった政宗はまるで犬か猫のようにすりすりと頬を寄せてくる。

 こんな姿を見るのはどれくらいぶりだろうか、と小十郎は思った。
 小さな頃はよく風邪も引き熱も出していたが、大きくなるにつれ丈夫になっていった。小十郎にとってそれは喜ばしいことであったが、少し淋しくもあったのも確かだ。

 政宗は伊達家の統領として早くから大人になることを求められていた。
 甘えたい年頃に母から遠ざけられ、突然右目を失い、それでも、いやだから尚更その身を律することを教えられてきた。
 そんなふうに育ったせいか、幼い政宗は傅役となった小十郎にもなかなか心を開かなかった。それを根気強く接し、長い時間をかけてその心を解し、信頼を手に入れたのだ。
 しかし自分の感情を出すことに慣れない政宗は甘えることが下手な子どもだった。それは信頼する小十郎や姉で政宗の乳母であった喜多にも同じであった。

 手を繋ぎたい
 抱っこして欲しい
 そばにいて欲しい

 子どもならば珍しくもない当然の欲求を伝えることもままならない。
 そんなある日。幼い政宗がやはり今日のように熱を出した。
 小十郎は喜多とともにふうふうと苦しげな息を吐き、汗を掻く政宗の枕元にあった。以前患った疱瘡のときの記憶が甦るのか、喜多はいつになく落ち着かない。それを宥めながら小十郎も何も出来ずにいた。

 「こ、じゅろ・・・」

 自分の名を呼び、小さな手を伸ばしてくる政宗に、小十郎は堪らず身体を抱き上げた。腕の中の小さな身体は熱く燃えるようだった。

 「政宗さま、しっかりなさりませ」

 「・・・うん・・・・こじゅうろうは、あったかい・・な・・・」

 そううわ言のように呟いた政宗は、小十郎の襟を掴みその身を擦り付けた。



 もしかしたらこのとき、政宗は生まれて初めて人に甘えることを知ったのかもしれない。





 また少し重みを増した腕の中を覗けば、政宗は目を閉じてゆっくりとした呼吸を繰り返している。どうやら眠ってしまったらしい。
 今もやはり甘えることや頼ることが不得手な主君だが、たまにこうして甘えることを思い出すのもいいだろう。
 眠る政宗をそっと抱え直すと、小十郎はまだ熱のある額にそっと唇を寄せた。






 <終>

 風邪を引いて弱るまーくん・・・萌えv
 流川しゃん、ネタ提供ありがとーv