縄張初め
「御免仕ります・・殿、よろしゅうござりますか?」
小十郎が書院を訪れると、政宗は大きな図面を前にしていた。
「おお、小十郎着いたか。かまわぬ、入れ」
政宗はひょいと顔を上げそれだけ言うとまた図面に目を落とした。
近づくと、政宗の睨んでいる図面が新しい城下となる千代の町の区割りなのだとわかった。
家康は石田三成を誘い出すことも念頭において、政宗へ上杉討伐を令した。上杉景勝を討とうと立てば、必ず三成も出てくる。そこで西へ取って返して背後を突かれては、成るものも成らない。そこで領地を隣接し、また地の利に詳しい政宗に上杉を抑えさせることにしたのだ。
政宗もただで使われることを良しとはしなかった。ここぞとばかりに自身の要求を言上し、家康からは旧領を含む四十九万五千石の領地判物──通称“百万石の御墨付き”という破格の成功報酬の約束を手にしたのだ。
伊達軍はこの戦で上杉の支城である白石城を落とし、上杉を北の地に縫い付ける充分な働きを見せた。
しかし蓋を開けてみれば三成と家康との合戦は予想を上回る早さで終わってしまった。結果、上杉との合戦も和議に終わり、南部領内の一揆の先導者・和賀忠親を後押ししたこと(和賀一件)も家康に漏れ、百万石の御墨付きは反古となった。
和賀一件は匿っていた忠親が腹を切り真偽はうやむやとなったが、政宗はしばらく大人しく謹慎することを余儀なくされた。
しかし転んでもタダで起きない政宗は、その間に岩出山から海に近い千代に居城を移し、知行に力を入れることを決めた。
そして上杉との戦の知行割りを済ますとすぐに普請に取り掛かった。
「・・城下の絵図面でござりまするか?」
小十郎は政宗の対面に座すと、同じように図面を覗き込んだ。
「そうじゃ。やっと町割りが決まったぞ。大町、立町に肴町・・・堀を渡ればすぐに町へ出られるように配した。酒屋はここじゃ。ハハッ!わしでも買いにゆける近さよ」
機嫌よく云う政宗はこの図面に満足しているようだった。
政宗はいち早く奉行や黒鍬者たちを先行させると、居城となる青葉山周辺を入念に調べさせた。そうして大まかな区割りを提出させると、閑所に篭って熱心に自身の意向を加えていたことを小十郎も知っていた。そしていま目の前にある図面が完成形であるらしい。
と、自身も楽しそうに図面を眺めていた小十郎だったが、ある場所に視線が留まると眉が寄った。
「殿、これは・・・」
そう云いながら指差した場所には“片倉備中”の文字が見える。
「おお、そこはそちの屋敷よ。こちらに成実、綱元はここじゃな。他の者もすべてこの辺りに寄せてある。城に近くてよかろう?まあ、米沢や岩出山ほどではないが・・なに、門を出ればすぐよ」
これまた扇で嬉々として指し示す政宗に、小十郎は少し困ったように口を開いた。
「お屋敷を賜れますことは、誠に有難いことなれど・・・恐れながら、某めの屋敷の場所は御再考のほどをお願い致したく思いまする」
そういって深々と頭を下げる小十郎に政宗は刹那、鼻白んだ。しかしすぐにむっつりとして脇息に寄り掛かると、そっぽを向いて問い質した。
「この場所の何が気に入らぬというのだ?大手門を出てすぐぞ?登城も楽であろうが」
「その“門を出てすぐ”ということが些か困りますことで」
小十郎は間髪入れずに答えた。
他の家臣であれば主である政宗が臍を曲げたと思えば冷や汗を流すところであろうが、小十郎は一向に怯む様子もない。幼い頃から仕えていた小十郎にすれば、こんなふうに拗ねる政宗など何ということもなく、そのまま言上を続けた。
「成実どのをはじめご一門の方々を差し置いて、小十郎め如きがかようにお傍近くに屋敷を賜るのは憚られまする」
「何を憚ることがあるのだ?そちは一門にも、いや誰にも劣らぬ働きをしておるではないか!」
がばりと身を起して憤慨する政宗に、小十郎はやはり驚くこともなく優しく窘めた。
「有難きお言葉でございまするが・・それでも、人それぞれ“分”というものがございまする・・・某は先の知行にて白石を頂戴し、もう充分すぎるほどでございます。小十郎は一介の家臣でござれば、これ以上のお引き立ては無用にございます。しかしご一門の方々は殿と同じ血を引き、一番に伊達家を盛り立ててゆく方々。努々、ご親戚の方々を蔑ろにされてはなりませぬ」
小十郎の言葉に政宗は口を継ぐんだ。
もう随分と昔の話。小十郎の破格の出世に他の家臣や一門たちのやっかみが酷く出奔まで考えた、と聞いたことがあった。
名もない神職の家柄の身で、先代に見出され徒小姓となり、嫡子の傅役に抜擢されるというのはやはり普通のことではない。もちろんその出世はただの贔屓ではなく、小十郎の才が優れていたことが一番の要因であった。しかしただ才があったというだけではなく、その破格の出世は他の者ように身分という拠所もない小十郎の弛まぬ努力の賜物なのだ。
(能力高く懸命に働く者を掬ってやって何が悪いと言うのか。くやしければ身分に胡座など掻かず、自身を磨き、懸命に働いて掴めばよいものを!)
そんな思いを抱く政宗は能力があると見れば、どんなに低い身分の者でも高く取り立てた。そうして奥州でその名を轟かすいまの伊達家を作り上げてきたのだ。
政宗は小十郎が一心に仕える姿を見るにつけ、その働きに報いたいといつも思っていた。
しかし当の小十郎はといえば、さしたる欲もなく、何かを無心するということも皆無だ。片倉という家名を汚さず、ただただ『伊達家の為、政宗の為』というだけなのだ。
そんな男を前にして、政宗はいとおしいと思うと同時にまた、口惜しくも感じる。
もっと欲を掻けばよい。
家中に己の力を示してもよい。
主の寵を賢く使い、もっと高く望めばよいのに───
───否。そんな小十郎は、小十郎ではない。
欲もなく、己の分を弁え、ただ一心に邪心なく働く男だから、いとおしく思うのだ。
しかし、である。政宗とても此度の屋敷の区割りを今更替える気はさらさらない。
己の大事な片腕で、いとしいのだから少しでも傍に置きたいのだ。
へそ曲りで強情な政宗が、その我が侭とも当然ともいえる心情を曲げようはずもない。
しかしこちらがいくら強情を張ったところで、幼い頃から自分を知る小十郎には効かない───政宗は改めて思案した。
「・・・殿?」
図面に視線を落としたまま、黙ってしまった主に小十郎は伺うように声をかける。
いつもであればここでナンダカンダと言い立ててくると、小十郎も覚悟していたのだが───それに反して口を噤んでしまった主を不思議に思った。
「・・・小十郎」
「はい」
ようやっと顔を上げた政宗に小十郎は律儀に返事を返す。
「確かにそちの言う通り、この区割りでは一門の者への配慮を欠いているかもしれぬ」
「は、恐れながら仰せのとおりかと」
「だがな、わしは淋しいのだ」
「・・・お淋しい、ですと?」
思いがけない政宗の言葉に、小十郎は思わず繰り返した。
小十郎の反復に深く頷くと、政宗は滔滔と語り始めた。
「如何にも、わしは淋しい・・先の知行でそちには白石を与え、成実は亘理に移った。皆、新領地の普請にも忙しく、出仕の間も随分空くようになった。そちの出仕とてひと月ぶりではないか。しかし、それもこれもみなわしの裁量のせいよ。その心とても遠くなろうと誰も責められまい・・・」
「そのようなこと・・いくら城を頂き、遠くなりまいても我等家臣一同の心が遠くなったわけではありませぬぞ」
いつにない政宗の弱気に、さすがの小十郎も懸命に取り成した。
「そうかの?じゃが、やはり千代と白石は近いとは云い難いであろう?だからの、せめてそちが千代に居る間くらいそば近く過ごし、酒でも飲み交わしたいと思うてのこの区割りだったのだが・・・そうか、そちはいかんと申すか・・・」
ふうと大きな溜息をつき、再び脇息にもたれ掛かる政宗に、小十郎は何とも云い様のない顔をした。
「・・・・・・わかりました。殿がそのように思し召していたとは存じ上げませなんだ。お屋敷は謹んで賜りまする」
しばし逡巡した小十郎の答えを聞くと、政宗はことさらゆっくりと顔を上げた。
「・・・本当か?」
「はい、武士に二言はございませぬ」
「酒の相手もしてくれるか?」
「ご相伴もこの小十郎でよろしければ仕りまする」
「・・そうかそうか!では、この区割りでさっそく縄張り致すことにしよう。やあ、これでやっと取り掛かれるわ。わしは嬉しいぞ、小十郎!」
「それは・・小十郎とても重畳でござりまする・・・」
先ほどの消沈ぶりとはうって変わって喜ぶ政宗に、小十郎もほんの少し首を傾けたとか、いないとか・・・。
<終>
今回ギャグ風味で。まーくんの泣き落としにおかしいと思いつつも陥落したこじゅ(笑
千代は仙台のことです。まーくんが今の字に改名しました。
先日の仙台旅行でこじゅのお屋敷とお城の近さに驚き、激しく喜びましたv
愛されてるよ、こじゅ・・・