白萩
透き通った秋空には刷毛で引かれたような薄雲が浮かぶ。
「───天高く馬肥ゆる秋・・・とはまさに今日のようなことを言うのだろうな」
ゆったりと揺られる馬上での政宗の呟きに、半歩ほど後ろに居たやはり馬上の成実は相槌を打つ。
「まこと良い気候でござりまするなぁ・・今頃は国許も稲刈りに忙しくしておりましょう」
「そうだな・・・」
徳川の世となってはや二十年が過ぎようとしていた。
政宗も不惑を過ぎた。数年前に身罷った家康からも自分亡きあとの幕府と徳川家をよくよく頼まれ、副将軍をもって託された。もはや昔のように激することもなくなった政宗は、その言葉に忠実に仙台と江戸を往復しながら自身の趣味にも忙しく過ごす日々を送る。
今日は武蔵の国は秋川に鮎釣りを楽しもうと出張っていた。
早朝から鮎釣りを楽しみ、昼を過ぎると近くの寺の住職を務める末弟・秀雄(しゅうゆう)を訪ねるためゆるゆると川沿いの渓谷をゆく。山深いこの地はもうすでに紅葉も始まり、山肌は美しい錦を纏っていた。鮎釣りに思いがけない紅葉狩りも楽しみ、政宗は上機嫌だった。
遡ると聖徳太子の草堂が起原だとする寺に着くと秀雄が笑顔で出迎えた。
秀雄は脇腹の子で、元服を迎える前になると早々に寺に預けられた。早くに生き別れてしまった兄弟だったが、政宗はその後も気に掛け、何くれとなくふみを交し合っていた。そう多くない弟妹たちは有る者は夭折し、有る者は自らが手に掛けねばならなかった。それだけにもう一人きりになってしまった秀雄とは益々親しくしていた。
「暫くぶりでござったな、秀雄どの。息災でお過ごしか?」
「は・・・伊達さまにもご健勝のご様子なによりでござりまする」
兄弟でありながらも立場の違いに堅い挨拶を交わす。そこに横から成実の気取らない声が掛かった。
「秀雄どの、達者のようだの!」
「これは成実どのも・・相変わらずお変わりになりませぬな」
「何じゃ、それは!どういう意味じゃ?!」
政宗とともに従兄弟にあたる秀雄に、成実は昔から変わらぬ親しさを示していた。
「ははっ!まあ良いではないか。秀雄どのはそちも元気で何よりだと申しておるのだ」
「は、まことその通りで・・・」
そんな戯言を交わしながら秀雄自らに案内される。長い廊下を渡りきると政宗は目の前に現れた庭に目を奪われた。
池や燈篭が控えめに配された中に、見事な白萩が咲き誇りその枝葉を撓らせていた。
「ほう、これは見事な・・・」
思わず漏れた感嘆に秀雄は静かに笑んだ。
「この寺の自慢の白萩にござりまする。今が盛りで・・丁度良い時期に参られましたな」
その後三人は庭が良く見える座敷でつらつらと一刻ばかりを過ごした。
秋川から江戸上屋敷に戻ってからの政宗は忙しく過ごした。そうして仙台に戻り、やっとひと心地着いた頃。
米沢や岩出山とは比べ物にならないほど大きく立派になった庭の赤紫の萩に目を留め、ふと秋川の寺で見た白萩を思い出した。見慣れた赤い萩も悪くはなかったが、秀雄の寺で見た白萩は清楚で控えめな印象で何故か懐かしかった。
(そういえば、畑はどうなっていたか・・・)
廊下から草履を引っ掛けて庭に下りるとそのまま裏に回る。そこには米沢の頃から始めた趣味のための小さな畑が用意されていた。夏ほどの実りはなかったが、味の良い秋茄子や人参に牛蒡などが実っていた。それらを眺めると畑仕事を始めた頃のことを思い出す。
家臣の誰もが呆れたり嘆いたりした中、小十郎だけは興味深げにその様子を眺めていた。料理を始めた時もそうだ。成実などは主君である自分に『何という間抜けた姿じゃ!』などと無礼にも口走ったほどだった。けれど、やはり小十郎だけは何も言わず、時折廚に赴いてくるのを良い事に無理やり味見などをさせた。
そんなことをつらつらと思い出していると、ふとあの白萩と小十郎が重なった。
精錬潔白でいつでも控え目で決して前に出るようなことをしなかった男。
前に出るそのときは、戦において主君である自分を庇うときか、あえて換言を呈し自身の命を投げ出す覚悟を決めた時だけ。
政宗は自室に取って返すと急いで文を認めた。
「殿、秀雄どのから文が届きまいたぞ!」
ばたばたと大きな音をたてながら成実が文箱を抱えてやって来た。
「おお!早かったの。どれ、早うここへ」
書状を引っ手繰るように成実から取り上げると政宗は目を走らせた。
『 ───愚弟である拙僧のことをいつも気に掛けて頂き有難く存じ候。過日のご来訪も誠に嬉しく、久方ぶりに過ごした時は誠に忘れ難く候へども、片倉さまがお出でにならないことが返す返すも残念に思われ候。何時の間にか時が過ぎたことを思い致し候───
───此度ご所望の萩が少しでも兄上のお心の慰めになればと、急ぎお送り申し上げ候 』
政宗は文を読み終わると詰めていた息を小さく吐き、しばらく俯いたままだった。
「・・一緒に届いた物は庭に運ばせておきましたからの」
成実はその様子を見て告げると静かにその場を立ち去った。
ようやく顔を上げた政宗は障子を開け、廊下に出て庭を眺めた。
成実の言った通り、目の前には萩が一株置かれていた。
政宗は手ずから庭の片隅にその白萩を植えた。
そこは自室の小窓から良く見える場所だった。そして文机に向かう度に眺めては、来年の秋を想った。
<終>
追て曽掛に候へども、折節に任せ、小袖壱重進め候。以上。
態々飛脚を以って申し入れ候。
先度は参り、会面を遂げ本望に候。
仍て無心の申す事候へども、御庭の白萩一段見事に候き、所望致し候。
先日は申し兼ね候て罷り過ぎ候。預け候はば、忝かるべく候。
猶、後音を期し候。
恐惶謹言
松平陸奥守
八月廿一日
彼岸寺御同宿中
白萩文書より
先日DATE師匠であらせられる流○師匠より教えてもらったまーくんご所望の白萩のお話から。
史実と妄想ごちゃ混ぜです(汗)
俗に“白萩文書”と呼ばれるこの文が書かれたのは元和9年(1623年)。まーくん57歳のとき。小十郎はすでに鬼籍に入っております・・・
まーくんは小十郎が死んだあともすごく大事に想っていたんじゃなかろうか、と。だったらいいなv