秋の気配
「・・・今、何と申されましたか?」
「今宵の夜伽はそちに、と申したのだ」
領内の視察の為に五日ほど館を空け、その間に溜まりに溜まった政務をこの三日間かけてようやく終わらせた。さてそろそろ夕餉の用意をさせようかなどと思案しながら書状の整理をしていた小十郎は、政宗の言葉に我が耳を疑った。
「さて、これは・・・小十郎の耳はちと、おかしゅうなったようにござりますな。薬師に見せねば・・・」
「何を薬師とは大袈裟な・・・小十郎、そちが聞こうとせぬだけじゃ」
政宗の駄目押しに小十郎はいつもの無表情を保とうとしながらも、その目は静かに伏せられ、口元も心持ち固く結ばれた。このようなときの小十郎が何事か思案をしているのは長い付き合いの政宗には判っている。
むうとした態度を貫きながらも、いつものニヤニヤ笑いで愉快そうに眺めてくる政宗の姿に小十郎は『やれ、また始まったか』と呆れた。その歳の割に余裕のある態度をときどき小憎らしく思うが、仮にも主君である。それを言葉に出したことはない。
しかし此度のこの様子・・・笑ってはいるが、一度言い出したら後に引かない主だ。ふざけているようで、本気なのは判っている。こうして反応を見て楽しんでいるのは、単におまけのようなもの。
衆道はとくに珍しいことではない。かの太閤秀吉にも『趣味をよくされたくば、衆道をなされよ』と上申されたというほどに、それは位があれば尚更求められる嗜みだった。
僻地とも言うべき奥州ではまだそれほど盛んでないことではあったが、それでも西から流れてくる流行ものとともに拡がり始めている。大方、政宗もその話を聞き、興味を持ったのだろうと当たりをつけた。
小十郎は念のため、その真意を確かめることにした。
「宿直(とのい)ではなく、伽をご所望で?その、閨(ねや)を共にするということでございますか?」
「おう」
あっけらかんと返事を返す政宗に、小十郎はふうと呆れ気味に大きく息を吐いた。
「・・・殿。小十郎、この正月で二十九になりましてございます。聞くところによれば、そのような相手は見目麗しい小姓と相場が決まっておるとか・・わたくしの見目はこの通りでございますし、歳のほうも小姓と比べましても、ちとトウがたち過ぎておりますまいか?」
理詰めで推し進めようとする小十郎を政宗は鼻で笑った。
「この臍曲がりの政宗ぞ。世間の相場など知ったことか。わしはお前がいいと言っている」
政宗の言葉に小十郎は目を丸くした。
幼い頃から傅役として政宗に仕えてきた。伊達家の嫡子として生まれながら母に疎まれ、片目を失い、本来余りあるほど与えられたであろうものを悉く奪われてきた。それでも歯を食いしばり、立派な統領となるよう懸命に努力してきたことを誰よりも近くで見てきた。甘えたい年頃の伸ばしたい両手に拳を作り耐えるような幼子を愛しいと思わぬことが出来る人があったのなら、それは人としての心をどこかに捨ててきたのだ。
そんな政宗が愛しく、何よりも大事だった。大きくなるにつれ、才気に溢れ立派に育つ姿に喜びを感じ、この主のためになら身命を賭して仕えられることを幸いと感じた。
そうして歳月を重ねるうちに主でありながら弟のような親愛の情が、いつのまにやら別の情を孕むようになっていた。その気持ちから小十郎は必死に逃れ、心の中から追い出そうとしてきたものを、当の政宗はいとも簡単に引き寄せ、するりと中に入り込む。そんなところさえも憎らしく、やはり愛しい。
小十郎は軽く息を吐き出すと、今度は仄かな笑みを浮かべて答えた。
「・・・承知仕りました。今宵の伽のお相手、確かにこの小十郎景綱が相努めさせていただきまする」
「うむ」
小十郎の言葉に政宗の口は弧を描き、満足そうに頷いた。小十郎が夕餉の準備をさせるために部屋を出ようとすると、いつのまにやら煙管を片手に弄る政宗が声を掛けた。
「・・・言っておくがな、小十郎。伽は命ではないぞ・・だからの・・」
「殿」
と、己の名を呼び言葉を遮る小十郎を見上げると、その顔には先ほどの笑みが浮かんだまま。その笑みは政宗が幼い頃よく見せてくれた我が儘を許すときのものによく似ていた。
「小十郎は傅役なれば、殿にとって悪しきことと思うたときには、例え命でも背きまする」
それだけ言うと小十郎は静かに部屋を辞した。
ぴたりと静かに閉められた障子に映った影が静かに遠退いていく。政宗は文机に肘をつき、それをいつまでも見送った。
「・・・まったく、甘やかしてくれたものだ・・・」
煙草を一口飲むと政宗は一人呟いた。言葉とは裏腹にその顔は夢見るような、とても満たされたものだった。