雪解けのころ
井戸水も温み始め、奥州の遅い春を実感する昨今。梅と桜が差もなく咲き、その控えめな香りが鶯の囀りとともに風に乗って部屋にまで舞い込む。
そんな好い気候の中、小十郎は彼方此方に散らばる書付に時折目を通しながら、文机に向かって熱心に筆を進めていた。
正月が明けるとすぐに行われる戦評定でその年の戦の目的や時期、規模が決まる。兵に馬、資金や糧を準備万端整え終えると、あとは雪解けを待っての出陣となっていた。
小十郎が後の憂いの無いようにと、最後まで支度に追われるのも政宗が家督を継いでからは常となっている。そんな書き物に追われる中、廊下を伝う地響きのような足音にに小十郎は何事かと顔を上げた。
「小十郎!居るか!?」
言うが早いか、半間ほど開け放してあった障子を更に押し引いて成実が顔を見せた。
「これは成実どの。如何され申した?」
文机に向かっていた体ごと向き直ると、成実もその前に乱暴に座した。
「如何も糞もあるものか!お主、殿が何をしているか知っておるのか?」
「何を、とは・・・また城下で騒ぎでも起こされたか?」
騒ぎでも、という割りにのんびりとした小十郎の物言いに成実は苛々と声を荒げた。
「違う!殿が城下に行かれるなら、わしにも声が掛かってこんな所には居らぬわ。そうではなくて、あの裏庭の・・」
「あぁ。“畑”をご覧になられたか」
そう言い当てる小十郎の様子に成実はますます憤慨した。
「なんじゃ、お主!知っておるではないか!知っていて何故お止めせぬのだ!」
「はて、これといって不都合なこともございませぬゆえ・・・」
半月ほど前から雪も解け、土が見え始めた頃、政宗は人を遣って近在の農民数名を召し出した。そして色々と話をしていたかと思うと、突如裏庭の土を掘り返し始めたのだ。
そのときはさすがの小十郎も驚いたが、また何かお考えあってのことだろうと見物を決め込んだ。それに農民達に混ざって自身慣れぬ鍬を振るう政宗はとても愉快そうであったから、その姿を見ているのも悪くなかった。
しばらくして出来上がったのは、畝も真っ直ぐと美しい小さな畑だった。
昼とはいえまだ冷え込む北の地に農民達を労うため、酒と汁物を振る舞う政宗に小十郎は声を掛けた。
『殿、一体此度は何を?』
『おぉ、小十郎か。何、ちと野菜を育ててみようかと思うての』
『野菜を?・・・殿、御自らでございまするか?』
呆気に取られた様子の小十郎に政宗は悪戯な笑みを見せた。
『そうじゃ。まあ初めてのことゆえ、この者達に手伝ってもらうがの。夏前には何か採れるであろうから、そうしたら小十郎!そなたにも振舞おうぞ。楽しみにしておれ!』
『はぁ・・・』
生返事を返しながらも、政宗が本気であるらしいことは農民達への問いかけの内容で明らかだった。
作付けはどうするのか。
何が育てやすいか。
今からすぐ植えられるものは何か。
そんな初歩的な問いにも農民達は畏まりながら丁寧に答えていく。
(まったく此の方にはいつになっても驚かされる)
真剣に話を聞いている政宗の横顔に小十郎は柔らかく笑った。
「小十郎、お主何を暢気な・・・仮にも奥州筆頭、伊達の総領が土に塗れて畑仕事など!それでなくとも廚(くりや)に入り浸り料理までなさっておるというに・・」
「それは・・成実どの」
成実の言葉に小十郎は眉間に諌めるように遮った。
「ああ・・・その、まあ料理をなされるのは・・仕方のないことでは、あるがの・・・」
政宗は実の母と同腹の弟にその命を狙われた。前々から薄っすらとした猜疑心を抱えてはいた。しかし政宗は小田原参陣前という伊達家存亡の危機ともいえる中、次何時見まえることになるか判らぬ母からの招待に応じないことは人の子として出来なかった。母自ら作ったという料理を出されれば尚のこと、これまで受けた仕打ちもその愛からか、と口を付けずにはいられないのも道理。
しかし、そこで出された羹物には猛毒の茸が入っていた。すぐに気づき吐き出した政宗は一命を取り留めたが、弟は切り捨て、母は里である最上に逃れた。
政宗が料理を始めたのはそれからのことだ。
周囲には兵糧の研究だと言っていたが、この一件を知るものならば誰もがその理由を思い、遣り切れないように目を伏せた。
「しかし、やはりのう・・」
「のう、成実どの」
不満顔の成実に小十郎は静かに語りかける。
「御自ら包丁を握り、ご自身が食されるものがどのように出来上がるのかを知ることも、土に塗れて農民達の苦労を知るのも、人の上に立つものとしては良いことではありませぬか」
そう語る小十郎の言い分はもっともで、成実も詰まる。しばらくむうと黙り込んでいた成実もふうと大きく息を吐くと口を開いた。
「・・・まあ、それも一理、あるか」
成実は胡座を崩し、足を投げ出した。
「あーっ!まったく我らが殿にはいつもいつも驚かされる!」
「まったくでござるな」
天井を仰いで自分と同じ思いを口にする成実に小十郎は苦笑しながらも同意した。と、いつの間にかこちらに視線を戻した成実がにんまりと笑っていた。
「ふん!小十郎ものう、いつもいつも梵天には甘いぞ!」
「成実どの・・・」
その言葉と表情に、小十郎は政宗との間のことを(知っておられるのだな)と悟ったが、その辺りは十年の長がある。
「それはもう。この小十郎は傅役なれば、梵天丸さまの御為でしたらこの身命懸けましても」
そう仰々しく頭を下げて答えれば、成実は目を丸くしたがすぐに破顔した。
「はっはっはっはぁ!そうかそうか、いや、見上げた心意気じゃ!さすがは忠臣、片倉小十郎景綱!天晴れなことじゃ!」
成実はそう叫ぶと勢いよく立ち上がり、『では殿の“畑”でも覗いてみるか!』とまた来た時のように騒がしく足音を立てて行ってしまった。それを見送った小十郎はやれやれと散らかった書付を集めると、自身も立ち上がった。
「さて、今日は何の作業をされているのか・・・」
廊下に出ると庭先に咲く花の匂いが一層強く、その身を包んだ。
<終>
政小+成実ってところでしょうか。まーくん出番少なっ!(笑
史実でも確認されていることですが、まーくんのご趣味は料理だったそうです。元は兵糧の開発が目的だったらしいですが、↑で書いたような理由もあったかも、と思いを馳せるとなかなかに切ない。
後年、戦が無くなるともっぱら美食探求に走ったそうですが、それなら畑で野菜の一つや二つくらい作っててもおかしくないんじゃないかと妄想し、こんな話が。(設定はジイちゃんになる前にしたけど・笑)
ちなみに納豆や凍み豆腐なんかもまーくんが発明したとか。あと不確かですが、ずんだ餅もそう言われてます。現在の仙台名物のほとんどはまーくんが作ったのだ!偉大なり。