照り付ける太陽に額からこめかみに汗が伝う。
 その汗を黒龍を握った手の甲でぐいっと拭うと、ぬるりとした不快な感触と鉄臭さが鼻を掠め、小十郎は顔を顰めた。
 足元には名も知れぬ男たちの骸が転がっている。その視線を延ばしても同じような屍が広がるばかりだ。死体から流された夥しい血が、夏の熱気に蒸され咽るように辺りにたちこめる。あと一刻もすれば死臭も漂い始めるだろう。
 そんな過酷な中を自軍の兵士達が検分している。好んでやりたいことではないが、主要な将の首級を持ち帰るためだ。それが終わらなければ、ここを立ち去ることはできない。

 「・・・おい、小十郎。お前、どうしちまったんだ?」

 隣で一緒に検分の様子を眺めていた成実が、苦虫を潰したような顔で問うてきた。

 「どう、とは?」

 「とぼけんな・・“知の片倉”と云われるほどのお前が、単身敵陣に乗り込むなんて無謀なことしやがってっ・・・」

 忌々しそうに云い捨てる成実に小十郎は表情も変えずに答えた。

 「どうもこうも・・・あの状況で一番手っ取り早いと思っただけのこと。おかげで片がつくのも早かっただろう?」

 小十郎の答えに、成実はギリリと奥歯を噛み締めた。



 今回の戦は、またしても蘆名が緩衝地帯へ侵入したという報告を受けての出陣だった。
 政宗が亡くなって一年余り。新当主による体勢がまだまだ不十分なこの時期を狙って、隣国の動きは活発だった。しかし奥州きっての大家である伊達軍にとって、この程度の小競り合いはよくあることで、今回の出陣は新当主である小次郎にとってもいい訓練になる。その程度のものであった。

 今日のこの戦も本来ならば、小十郎が出張るほどの戦いではなかったはずだった。しかし予想以上に早い敵の押し出しに、珍しく成実の隊が苦戦しているという知らせを受けた。真夏の戦は体力、気力ともに兵の消耗が早い。小十郎は主である小次郎──いまは元服して政道と名乗ったが──に自らが援軍に出ることを申し出た。
 小次郎の許しを得て駆けつけると、敵の足軽数人に馬上の成実が取り囲まれていた。小十郎は愛馬に鞭打ち、突進すると、足軽たちを蹴散らしながら成実のそばに寄せた。

 『大丈夫か、成実どのっ!』

 『小十郎かっ!?・・ったく!この程度の連中、オレ一人で捌けたぞ!』

 負けず嫌いの成実はそんなふうに云う。確かにあの程度の敵ならば、成実には余計なことだったのかもしれない。小十郎は苦笑しながら詫びた。

 『ああ、それはすまんことをしたな。だが“この程度の連中”、二人でやればもっと早く片がつくだろう?』

 『まあ、それはそうだが・・わかった、とにかく早いとこ終わらそう!小十郎、陣に帰ったら一杯付き合ってもらうぞ!』

 『ああ、承知した!・・無事に帰ったら、な・・』

 『・・なに?いま何とい・・』

 小さな小十郎の呟きを拾った成実だったが、すでに声の主の背中は迷うことなく敵陣の方向へ走り去っていた。

 たった一騎でに突っ込んできた男に、蘆名陣内は混乱した。そしてその馬上の男の顔を認めた者が慄きながら叫んだ。

 『伊達の双龍の生き残りだ・・・っ!』

 その叫び声に小十郎の口端が上がった。

 『・・そうだ、テメェらの云う生き残りだっ!討ち取れると思うヤツがいたら出てきやがれ!』

 そう叫び返した声は、蹄の音に瞬く間にかき消された。もし近くでその声を聞いた者がいたとしても、その首と胴はすでに離され、誰かに語ることなど不可能に違いなかったが。



 「今日だけではない!ここ一年、戦となるといつもだ!いつも一番危険なところに真っ先に飛んで行きやがって!お前、お前は・・・!」

 襟首に掴みかかる成実に、小十郎は逆らいもせずただ好きなようにさせた。それがまた成実の怒りを駆り立てる。

 「テメ・・!」

 「あ、あの!検分が終わりました、が・・・」

 報告にやって来た部下は二人のただならぬ様子に慌てたが、その伊達軍で一、二を争う強さの二人の間に割って入ることを躊躇う。

 「・・成実どの、指示を」

 小十郎が促すと、成実は憤りを振り切るように締め上げていた両手を放した。

 「・・わかった!撤収するぞっ!」

 身を硬くして控えていた部下はあからさまにホッとした様子で伝令に走っていった。

 「・・・この話はまた今度だ」

 踵を返しながら囁くように云うと、成実は自身の馬の繋がれている方へ行ってしまった。その怒りも露わな後姿を見送ると、小十郎は握ったままだった愛刀・黒龍の血を振り払い、鞘にしまった。

 (また、手入れをせねばな・・・)

 小十郎は黒龍の柄を撫でながらぼんやりと思った。





 一年と少し前、政宗は逝った。その日は前夜から小雨が降りしきっていた。
 夜明け前に息を引き取った政宗の遺体はすぐに棺に移され、政宗の遺言通り資福寺へと運ばれることになった。小十郎も棺の脇に馬で陣取り、最後の供をした。
 道中、徐々に明けていく空とともに雨も止んだ。そして眩しい朝日が差す中を逆行するように、鬱蒼とした杉木立の中に入っていく。その太い幹の間に石段と立派な門構えが見えてきた。

 資福寺は嫡子である政宗のための学問所として建てられた禅寺だ。
 門前までくると、寺に一足早く知らせの使者を立てていたせいだろう、虎哉和尚が静かに佇んでおり一行を迎えた。
 虎哉の指示で、棺は方丈に安置された。
 その棺の前にすでに用意されていたらしい白絹のかかった台が運ばれる。虎哉はその上に花を生け、蝋燭の火を灯し、線香を立てると読経を始めた。朗々と読み上げられる経に、幾人かの嗚咽が混じりあった。
 読経が終わり、小十郎以外の供をしてきた家臣や従者たちは帰っていった。それから初めて、虎哉は棺の蓋を開けて棺の中の政宗と対面した。しばし死装束に身を包んだ教え子をじっと見つめていた虎哉だったが、おもむろに数珠を持った手を差し入れると、その扱けた頬を撫でなが ら“よう、生きた”とひと言だけ呟いた。

 小十郎はその光景をどこかぼんやりと見つめていた。
 ふと、頬の傷を撫でられるような感覚に我に返る。しかし小十郎と虎哉しか居ないこの場所で、誰が触れようはずもない。その正体はそよそよと吹いてくる風だった。その風に小十郎はこの頬の傷に触れた主を思い出した。

 あれは何時の事だっただろう?
 よく思い出せない。もうずっと前だったような気もするし、ついこの間のことのようでもある。
 “小十郎”と呼びながら、もう痛みなどないのに、まるで気遣うように不器用に触れたあの指。
 その感触だけは今でもよく思い出せるのが、不思議だった。


 その後のことは葬儀の手配や雑務に忙しく、よく覚えていない。





 小十郎は政宗の最後の“命令”に忠実に従っていた。

 殉死を望んだ者は多くいた。しかし政宗の遺言は“殉死者を出した家は取り潰す”という厳しいものだったために、断念した者が多かった。それでも殉死を試みた者がいない訳ではない。その半数以上は死に切れなかったり、家族や家臣に止められた。
 しかしほんの数人だが、成功した者たちもいた。そうした殉死者を出した家は政宗の遺言通りに取り潰されたが、その忠誠を考慮して数年後の家の再興が黙認もされていた。
 そうした中で殉死せず、それを試みもしない小十郎を皆、訝かしんだ。
 誰よりも政宗の傍近く仕え、その信も厚く、それ以上に応える小十郎の忠誠心に、後を追うことを誰もが疑わなかったのだ。しかし小十郎はそうせず、新しく伊達家の当主となった小次郎のために働いた。そんな小十郎の予想外の行動にあらぬ噂も立った。

 “病の政宗さまに早々に見切りをつけていて、いち早く小次郎さまに取り入っていたのではないか?”
 “その役職安泰を約束されていたのでは?”
 “実はお東さまに通じていたのでは・・・?”

 城内のそこかしこで話される様々な憶測に、小十郎は何も語ろうとはしなかった。ただ、新しい体勢でやっていくための様々な面倒ごとを根気よく、ひとつひとつ捌いていくだけだった。灰汁の強い、しかし他を圧倒していた当主の死に、国は静かに混乱していた。

 『オイ、小十郎!お前どうして何も云わない?!』

 政務に追われる小十郎の執務室にやって来た成実は、開口一番吼えた。
 伊達の血を引く成実の武勇は伊達軍の中でも群を抜くものがあり、その真っ直ぐで一本気な性格も加わり、家中の信頼も厚い。もちろん生前の政宗の信頼も厚く、成実自身も年近い従兄弟でもある主君によく尽くした。だから近しかった君主が誰よりも信頼した十歳も年上の友の悪い噂を、聞き流せなかったのだろう。

 『お前がお東さまと通じてたなどと、よくもそんなバカなことを・・!』

 『成実どのが腹を立てることじゃないだろう。噂の主はオレだ』

 小十郎は何でもないように答えた。話している間も書き物をする手を止める事がないほどだ。

 『その主が腹を立てねぇから、オレが立ててんじゃねぇか!オレは我慢できん!』

 『ハハッ!何だ、その理屈は?・・まあ、オレには疚しいところもないし、みな飽きっぽいからな。そんな噂もすぐに消えるさ』

 さも可笑しそうに笑う小十郎に、成実も毒気を抜かれたように肩の力を抜いた。

 『・・・まあ、お前が気にしていないのならよいのだが・・オレだって少し驚いたのは事実だし・・』

 『驚いた?何をだ?』

 背中越しに成実の気配が変わったのが判った。小十郎は聞き返したことをすぐに悔やんだ。一度口にした言葉を飲み込むようなことは、成実には出来ないからだ。

 『・・・オレも・・お前は、後を追うものと思っていたから・・』

 成実は躊躇いがちにそう云うと、自身の言葉を打ち消すかのように勢い込んで続けた。

 『だがっ!オレはお前が生きていることが嬉しいのだぞ!?梵も亡くして、お前まで亡くすなど・・・だいたいお前まで居なくなったら 、誰が戦場でオレを止めるのだっ!』

 成実の云い様に小十郎は苦笑した。乱暴で拙い言葉しか口にすることが出来ない成実だったが、きっと誰よりも心配している。

 『・・そうか、そうだな。では成実どののことは、オレが力ずくで止めるとしよう。だが、できれば暴走は慎んでくれよ、ハハハッ!』

 小十郎は冗談めかして云うと『うーん・・そうは云っても、約束はできねぇんだよなあ』と成実もおどけた。

 そうして小十郎の云う通り、そのうちそんな噂も自然と立ち消えてしまった。何よりも政宗の遺言に従い、小次郎を支えてよくやっていたために誰もそれ以上のことなど云えるはずなどなかった。










参へ