「成実ならびに小十郎、ただ今戻りました」
 
 「おお!成実、小十郎!ご苦労だった。すごい汗だな。誰か水を!」

 陣内の上手で床几に腰掛けていた小次郎は立ち上がって、小十郎たちを迎えた。陣内には他の将たちも控えていて、二人の帰還に笑顔と頷きをもって労った。

 「さあ、飲んで少し休め」

 「かたじけない」

 小次郎は自ら水の注がれた茶碗を差し出した。二人はその水を有り難く一気に飲み干すと、先ほどの合戦の首尾を報告した。小次郎はその報告に満足し、二人の労に報いる褒美を約束した。
 暫くすると敗走した蘆名を見張らせていた斥候が戻った。敵はそのまま国境を越え完全に撤退したという報告を受け、小次郎は撤収の準備が整い次第、帰国することを決めた。





 その夜。小十郎は成実とともに小次郎に呼ばれ、酒の相伴をしていた。
 戦場でのことだ。深酒をすることはなかったが、こうしてちょっとした祝い代わりに、また冷える夜には暖を取るために飲むことは多かった。

 「・・本当に、二人とも今日の働きは見事であった。礼を言うぞ」

 「いや、なんの」

 「ありがとうございます・・しかしもう充分ですので」

 何度も告げられる小次郎の労いを二人はそれぞれに受け答えた。

 「そうか・・しかし亡き兄上が、お前たちを頼りにしていたのもよく判る。成実の躊躇いのない攻めも見事だが、小十郎が戦場に立つとそれだけで敵が怯む。大したものだ」

 「恐れ多い事です・・」

 小十郎は言葉少なに答え、杯を干していく。
 政宗に頼りにされていた。それは有り難く幸せなことだった。そのうえ、それ以上の信頼を小十郎が得ていたのも確かだ。

 “お前を抱きてぇんだ”

 もう随分昔のこと、そうはっきりと政宗に求められたとき、小十郎は驚きはしたが嫌悪はなかった。
 どこからどう見ても無骨な男で、抱かれるというよりは抱くという役回りの方がしっくりとくると自身が思うほどの容姿だのに。そんなふうに思い、政宗に問うた。

 『・・このオレを、ですか?』

 『Yes.』

 『ご存知とは思いますが、女のように柔らかい胸もありませんし、受け入れる場所も限られますが?』

 『Of course.わーっかてるよ、当たり前だろ。あのな、オレは“片倉小十郎”を抱きたいんだよ!you see?』

 そう云いながら政宗は口付けてきた。しかしそのおどけたような物云いとは裏腹に、肩を掴む手が小刻みに震えていた。
 拒絶は恐ろしい。
 それが近しい相手なら尚のこと。
 そして一度でも拒絶されたことがあれば殊更に。

 主はそのすべてを承知で、己を望んでいる。主の願いならば、否応もない。
 ───否。そうやってそのすべてを主君に負わせるのは卑怯な話だ。己だとて間違いなく忠誠などとは違う種類の好意を持っている。そしてもう二度とこの方に、傷ついてなど欲しくない。
 
 『まったく、へそ曲がりにも程がある・・』

 小十郎は柔らかく答えながら政宗の背中に腕を回し、その永遠に閉じられた右目に口付けを落とした。
 そのとき見開かれた政宗の左目には、自分だけが映っていた。

 『・・・ha!へそ曲がり上等だ』

 そう乱暴に云い捨てながら抱きついてきた政宗に、小十郎はその背に回した腕の力を強めた。





 「・・兄上とは色々あったが、わたしはずっと憧れていたのだ」

 「・・はい」

 独り言のような小次郎の言葉に小十郎の思考は引き戻され、相槌を打つ。成実も杯を重ねながら静かに聞いているようだ。

 「ところで小十郎」

 「はい」

 「どうも近頃のお前は戦で前へ出過ぎると思うのだが・・・さきほど成実にも聞いたが、今日も敵の陣内に先頭を切って突っ込んだというではないか?」

 小十郎は小次郎の問いにわずかに眉を寄せた。
 正面の成実を見れば、そ知らぬふうに酒を飲み干している。どうやら自分はダンマリを決め込むつもりらしい。昼間のやり取りで埒があかないと思ったのだろう成実は、自分よりも主である小次郎が云った方が効くと思ったらしい。
 小十郎は心の中で密かに嘆息して答えた。

 「は・・しかし、それが小十郎の役目かと思いますので」

 小十郎の答えに小次郎は困ったように笑って続けた。

 「うん・・そうかもしれぬ。しかし、もしいまお前に何かあったら困る・・わたしもお前を頼りにしているんだ。だから死に急ぐような真似はするな。頼む、小十郎」

 (オレが、死に急いでいると?・・それも成実どのの考えか・・・?)

 小次郎の言葉に考えを巡らしていると、杯越しに成実の険しい視線とぶつかった。酒に口をつけながらも真意を見極めようとしている強い眼差しは、今はもういない主とよく似ていた。
 そしてもうひとり、やはり自分を真剣に見つめてくる小次郎もまた。そのまだ幼さが残る整った顔立ちには、両眼が揃っている。しかし母に似た細面の顔は、父親似の政宗ともどこかダブった。

 (また、禁じられるのか・・・)

 それでも何か答えねばならない。

 「──これからは気をつけます」

 小十郎の返事に小次郎は頷き、成実も微かな安堵の笑みを見せた。

 そうして翌日、その年最後になるであろう戦を終え、伊達軍は帰途についた。
 冬が早い奥州では、収穫期である初秋前には戦を終えることを常としていた。そうでなければ兵たちに里心がつき、不満が募る。そんな不満を持つ兵に漬け込み謀叛を煽る敵もいる。敵は外部からやって来るものだけではなく、内部にも目を配らなければならい。そうしたことも当主となった小次郎に教える必要があった。



 一団は国境まであと少しという峠に差し掛かった。
 二つの山の稜線に沿った峠越えの道は狭い。道の片側は斜面になっており、下を覗けば木立で鬱蒼としている。もう片側は緩やかな上りとなっていて、こちらは人の手が入り枝も払われて見通しもいい。だから油断していた。
 もう少しでその狭い峠道を抜けるという所で、見通しも足場も良くない斜面からの襲撃を受けた。

 「伊達政道ーっ!覚悟ォ!」

 そう叫びながら敗走したはずの蘆名勢たちが駆け上がってくる。どうやら完全に撤退したと思っていた蘆名の別働隊が動いていたらしい。

 「殿をお守りしろーっ!」

 傍近くに控えていた小十郎が叫び、乱戦となった。馬上の小次郎目掛けて、敵は蟻のように群がってくる。そんな小次郎の周りを騎馬武将数名と歩兵が固めようとするが、 狭い場所で人と馬がせめぎ合い思うようにならない。敵の数は100はいない。多勢に無勢のはずだったが、このような狭い場所ではむしろ少数での徒歩のほうが動きやすいのだ。

 「殿!オレから離れないでください!」

 「ああ、わかったっ!どうっ、どうっ」

 小十郎は敵を払い除けながら叫び、小次郎も片手には刀を握り、もう片手で必死に手綱捌きに苦労しながら、興奮する馬を宥めている。

 (とにかくこの場を抜けなければ・・!)

 小十郎は黒龍を振るって敵を蹴散らしながら、辺りを見回す。
 一瞬開けた道に小十郎は叫んだ。

 「殿!こちらへ!」

 その声に素早く反応した小次郎は馬の腹を蹴って駆け抜け、小十郎も続く。
 そうしてあと少しで細道を抜けるというところで、行く手に待ち構える鉄砲を構えた蘆名兵が小十郎の視界に飛び込んできた。

 「殿!引いて下さいっ!」

 そう云うが早いか、小十郎は脇を走る小次郎の馬の手綱を力任せに引き、自身が馬ごと前に立ちはだかった。その瞬間、山に木霊する銃声に世界が止まった。

 回る視界。

 背に感じる固い感触。

 空の蒼さと雲の白。

 焼けるような腹の熱さ。





 ───ああ、やっと





 小十郎はかすかに口の端に笑みを浮かべると、静かに目を閉じた。





 
四へ