豊饒

南瓜渡来。



 平野を吹き抜ける風が青々とした稲穂を揺らしている。
 海が波打つようなその動きを、馬上から眺めた政宗はひとつきりの目を眩しげに細めた。


 今回の戦は苦戦しながらも、何とか夏が終わる前に帰参できた。
 夏の最中、まだ日差しも強く暑い。しかし時折山から吹き降りて来る風は爽やかで、ひと時とはいえ汗を引かせてくれていた。
 留守中の領内も滞りなく治められていたようで、道々で出会う領民たちもみな笑顔で政宗たちを迎えてくれた。中にはわざわざ田畑から出てきて言葉を掛けてくれる者までいる。そんな領民たちに政宗も労い、言葉を掛けた。
 そんな領民たちの背後に広がる水田の美しさを見れば、今年の豊作は間違いないだろう。
 政宗は自分達を迎えてくれる者たちにますます丁寧に応えた。
 館が見えてくると、家臣たちからもさざ波のような歓声が上がった。政宗は日差しを避けるように手を翳し、遠く仰ぎ見る。
 ふと、雪解けの頃から戦の用意と平行して耕してきた小さな畑が脳裏をよぎった。
 
(何かしら実をつけているだろうか・・・)
 留守中は信頼する百姓達によくよく頼んでおいた。
 気になり出すと居ても立ってもいられない性分である。
 館に入り、着替えを乱暴に済ませると、期待に胸を膨らませて政宗はひとり裏庭に向かった。
 廊下を曲がると、遠目からでも判る青々と茂った畑に思わず口元が緩む。
 縁側を降り、草鞋を突っ掛ける転がるように畑に走り寄ると、茂る葉を掻き分けた。
 触れると痛いほどの棘を身に纏う胡瓜、艶々と光る茄子は瑞々しく、ごつごつとした皮を持つ南瓜はこの国に入ってきてまだ日も浅い、珍しいものだ。
 ずっしりと重いまくわ瓜は鼻を近づけると仄かに甘く香った。
「皆に褒美をやらねばな・・・」
 政宗は一人ごちながら作物をもぎ取っていく。そうして籠替わりの袖一杯の野菜を抱えると、また転がるように館に取って返した。

 同じ頃、小十郎は館中を歩き回っていた。
 政宗は重臣達への労いの言葉もそこそこに、あっという間に姿を眩ましてしまった。
 成実などはさっそく祝杯をあげようと張り切っていた為、ちょっと目を離した隙に居なくなった主相手にいつもの短気を起こしていた。鬼庭綱元や鈴木重信あたりも『殿は如何されたのだ?』と小十郎に詰め寄る始末。詰め寄られたところで、小者に所用を申し付けていた小十郎にその行く先が判る筈も無い。
 とりあえず酒の用意を整えさせ、先に始めるように皆を促すと、小十郎は嘆息しながら政宗の行方を追った。
 さて、と政宗の居所を思案する。
 まず思い浮かぶのは正室である愛姫のおわす奥向き。
 小十郎は奥へ向い、侍女に取次ぎを頼むとすぐに通された。
 案内されるままに座敷に入ると愛と喜多が笑顔で迎えた。
「小十郎どの、よう戻られた。此度も素晴らしき働きをなされたとか・・・。殿も喜んでおられましたぞ。喜多も鼻が高かろう?」
 鄙には稀なと、近隣に知られた愛は小十郎に労いの言葉を掛けるとその愛らしい面立ちを綻ばせ、隣に控えた喜多に言った。
「恐れ多いことにござりまする・・・。小十郎、無事で何よりであった」
 愛の言葉に恐縮しながらも喜多も嬉しそうに小十郎を労った。
 喜多は小十郎の異父姉である。政宗の養育係として取り立てられ、立派に家督を継がせたあとは愛付きの侍女として奥を取り仕切っている。
 留守中は何かと気苦労も多いだろう二人に、小十郎は深々と頭を下げた。
「奥方さまにはご機嫌麗しゅう。また勿体無いお言葉、有難う存じ上げまする。姉上にもご健勝のことまずは重畳でございまする。しかしながら、其れがしの手柄などすべて殿のご差配あってのことでございますれば・・・」
「まあ、相変わらず謙虚なこと。またそれも美徳じゃのう」
「重ねがさね恐れ入りまする。その、ところで殿はこちらには・・・?」
「おお、殿を探しておったのだの。ならば先ほど見えられたが・・・何でも他にも用があるからと早々にご退出なされて。ほんに、あのように落ち着かなくてはそちも色々と大変であろうのう」
「は、いえ・・・、とんでもないことでございます」
「いやいや、昼だけでなく夜もあの調子であろう・・・そちにはいつも感謝しておるのじゃ」
 二心無い様子で笑ってのたまう愛姫に小十郎は何とも居た堪れない。
 政宗が小十郎を伽の相手としていることも、正室である愛にも周知のことであった。しかし育ちの良さと性格からか、はたまたこの時代では珍しいことではない衆道だからか、とにかく愛は嫉妬するどころか常々小十郎を労う。これが同じ女子で側室と言う立場であったならまた話も違うのであろうが。幸い小十郎は家臣であり、男で孕むこともない。そのことが未だ子のない愛の心を軽くし、また奇妙な親近感さえ感じさせているようなのであった。
 そんな愛の隣に控えている喜多も二人の珍妙な掛け合いを見て、可笑しさを耐えるようにそっと面を伏せていた。が、何とも困った顔をする小十郎に『表のお部屋にいらっしゃるのではないか?』と助け舟を出してくれた。
 小十郎は早々に奥を辞し、姉の言ったとおり今度は表向きにある政宗の部屋に向かった。しかしそこももぬけの殻であった。
 いい加減に過ぎ散らかした衣があることから立ち寄ったのは確かなようだが、本人の姿は見えない。
(さて、そうなると・・・)
 小十郎は廊下に出ると、ひとつ思い浮かんだところへ向かった。

「ほう・・・」
 裏庭の畑の様子に小十郎は思わず声を上げていた。
 奥にも表にも居ない政宗に、小十郎は館を発つぎりぎりまで気に掛けていた畑あたりか、と検討をつけてやって来た。。
 縁側の踏み石にやはりいい加減に脱ぎ散らかされた草履を見た小十郎は、ここに政宗が来たことを確信すると畑に近づいた。
「これはまた、随分とよう育ったものだ」 
 発つ前にはやっと生え揃った程度だった芽が、今は様々な実をつけている。
 政宗の留守中、出入りの百姓たちが組んだのであろう細竹の支柱には蔓が巻きつき、形の良い瓜が重そうに垂れ下がっていた。隣の畝には黒光りした茄子がたわわに実る。
 その中にいくつか乱暴にもぎ取った跡を見つけた小十郎は、政宗の確実な居所を悟った。

「やはりこちらでしたか・・・」
 小十郎はようやくたどり着いた廚で政宗を見つけ出した。
「おお、小十郎。何ぞ用か?」
 忙しそうに立ち働く小者たちに混じり、襷掛けをした政宗が答えた。
「成実どのや綱元どのたちが騒いでおりますれば、どうぞ広間にお戻りくだされ」
 小十郎は無駄と知りつつも、役目として一応告げた。政宗は小十郎を横目に見つつ、竈に掛けられた鍋の中身を杓子で掻き混ぜた。
 「まあ待て、小十郎。もうすぐ出来上がるゆえ」
 そう言って今度は包丁を握る政宗に、小十郎は肩を竦めて見せた。
「左様でございますか。ではお待ちすると致しましょう」
 廚は宴の支度に活気づいている。小十郎は出来るだけ邪魔にならぬようにと、政宗のいる土間の上がり口の端に腰掛けた。
 何となく居所が無く落ち着かない小十郎と正反対に、政宗は気後れする事も無く、ここでも主の振る舞いだった。
 見ると厨への出入りを始めて随分になる政宗に対して、小者たちも慣れたもので必要以上に畏まらず、無礼にならない程度に親しく接しているようであった。
 政宗の調理する様子も一段と手際が良くなっていた。元々器用で凝り性でもあったから、あっという間にコツを掴んだらしい。
(戦に長け、料理も出来るような傾き者は、この広い天下を見回してもそうはおるまいな)  嬉々として立ち回る政宗の姿をぼんやりと眺めていると、小十郎は周りを出し抜いたような愉快な気分になった。
「おう、小十郎。ちと味見せよ」
 政宗はそう言って、ぼうっとしていた小十郎の前に小皿を突き出してきた。
「は、では失礼して・・・」
 政宗がこうして小十郎に味見をさせるのは初めてのことではない。
 廚に篭り始めた頃、よく様子を見に来た小十郎にこうして有無を言わせず様々な味見をさせた。初めの頃は口が曲がるかと思うほどの物を出されたこともあったが、それも日を追うごとに美味しいといえる物に変わっていった。
 今日、久々に食したそれも美味しかった。
「どうじゃ?」
「は、大変美味にございます」
「本当か?正直に申せよ?」
「ご自身でも御口にしまいたでしょうに・・・。それに小十郎が今まで嘘を申し上げたことがございましたかな?」
 小皿を返しながら、小十郎は心外そうに言って見せた。
 確かに最初の頃の酷い料理の有様に、多くの者が主である政宗に正直に言えない中、小十郎だけは不味いときは不味いときちんと告げていた。
『何っ?!』
 眉を吊り上げる政宗に向かって、小十郎は他の者の心中と今後の為を思って言い放った。
『政宗さま。まず人に味見させます前にご自分で御口になさりませ。さすれば、そのようにご機嫌が悪くなることも避けられまするぞ』
 “政宗さま”と久々に呼ばれた政宗はぐっと言葉に詰まった。しかししばし逡巡すると納得するように頷いた。
 政宗が二十歳を過ぎてから小十郎が“殿”ではなく、以前のように名前で呼ぶとき、それは決まって政宗が大人気ない所作をしたことを小十郎が窘めるときだった。
 すでに父も亡く、絶縁状態の母も亡いものと同じ政宗を、窘められるのは師である虎哉禅師と長く傅役として仕えてきた自分だけであるとの思いがあった。
「ふん!もちろん確かめたわ。しかし己が必ず正しいとは限りまいて。とにかく、そちも旨いと申すならわしの味覚も正しかろうな」
 相変わらず臍曲がりな返答をして、政宗は愉快そうに笑った。

 それなりに盛り上がっていた宴の席に政宗が作った料理を運ぶと、家臣たちから一段と高い歓声が上がった。
 以前は政宗が廚に出入りし、旨くもない味見させられることに渋面を作っていた者たちも、そのあっという間に上達した腕前を今は褒めそやすようになった。そして今夜もその相伴に預かれることを素直に喜んだ。
「今宵の馳走は、あの畑で取れたものばかりぞ。さぁ、遠慮のう食うてくれ」
 政宗の言葉に面々は礼を告げ、箸を取った。
「ほう!この胡瓜の瑞々しいこと」
「おう、この茄子にもよく出汁が染みて旨うござりまするな!」
「いやいや、この南蛮渡来の・・・南瓜とか申しましたかな?これも芋のようにほっくりとして美味なこと!」
 家臣たちは感心の声を上げ、旨そうに頬張っている。
 その様子を得意げに眺める政宗を確かめると小十郎も箸をつけた。皆の言うとおり、そのどれもが旨かった。
 滋味豊かなその味に帰って来たんだな、と小十郎はその日初めて実感した。